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要法寺ではいただけません
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ようほうじ

要法寺のお参りの記録(1回目)
京都府東山駅

投稿日:2024年03月19日(火)
参拝:2024年2月吉日
京都市左京区にある日蓮本宗の大本山のお寺です。
これで京都16本山のうち10を参拝できました。
立派な山門は閉じられているのですが 横の小さな門をくぐり 境内に入ることができました。
救済橋の奥に本堂があります。
本堂は歴史を感じる建物(江戸時代かな)で 木組みの白塗りが美しく映えます。
開山堂も同じく古い建物で 茶が目立ちますが 白塗りが美しいです。
山号は多宝富士山 宗旨宗派は日蓮本宗 寺格は大本山 ご本尊は十界曼荼羅 創建年は延慶元年(1308年) 開山は日尊です。
本山に大本山に総本山 日蓮宗の過去の派閥の確執を感じます。

由緒については
諸国を遍歴していた日尊が 延慶元年(1308年)に京に法華堂を開いた。
これが始まりであるという。
正慶2年/元弘3年(1333年)の春 日尊は師の日目に随って天奏(天皇に仏法を説くこと)にのぞむこととなり京に向かっていたが その途中美濃国垂井で日目が遷化した。
しかし 日尊は師の意志を継いで入洛を行い 翌元弘4年/建武元年(1334年)の春に後醍醐天皇に天奏を行った。
その功績によって皇室より六角油小路に寺地を寄進され 延元元年/建武3年(1336年)に日尊は六角油小路に法華堂を開いている。
これが後の上行院である。
興国3年(1342年)10月13日 日尊は会津の実成寺から弟子の日印を招いて上行院を授けている。
その後 日辰により上行院と住本寺を統合して要法寺が建立された。
明治三十二年(一八九九年)にいたり正統を受け継ぐ「本門宗」と宗名を改めた。
1915年(大正4年) 要法寺は再び仏像を撤廃した。
昭和十六年(一九四一年)政府の思想統一により日蓮宗との合同を強制され しばらくその状態が続いた。
しかし 日蓮大聖人の正統を受け継ぎ 日尊上人が要法寺を開創された意味にかんがみ 昭和二十五年(一九五〇年)独立して「日蓮本宗」を結成した。
とありました。
要法寺(京都府)
三条通に面して大きな石柱
要法寺(京都府)
山門は閉じられています
要法寺(京都府)
日蓮宗らしい石柱
要法寺(京都府)
鐘楼
要法寺(京都府)
本堂
要法寺(京都府)
救済橋
要法寺(京都府)
要法寺(京都府)
要法寺(京都府)
要法寺(京都府)
要法寺(京都府)
開山堂
要法寺(京都府)
扁額
要法寺(京都府)
庫裏かな
要法寺(京都府)
西門

すてき

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