ほんがくじ|浄土宗|佛性山
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楽しみ方本覚寺のお参りの記録一覧

京都浄土宗寺院特別大公開での参拝。こちらは三回目の参拝。毎度お地蔵様が公開されないかなぁと期待してるのですがまあないですよね・・・😅御本尊お詣りして御朱印を拝受。ですが御朱印がついに特別公開用のあのコピーになってました😞22年は直書き、24年は書置きでしたがオリジナルでしたのでなんか残念・・・😥

山門

中門

念仏塔の阿弥陀如来

地蔵様

本堂

扁額

京都市下京区にあるお寺です。
五条通まで上がってきました。
こちら本覚寺には山門と中門がありました。
歴史のあるお寺らしく 立派な山門で 木組みが美しいです。
建てられてから年月が経つと 古い木の色(深いこげ茶)と白塗りの色が相まって美しいです。
古い建物はこういう部分に歴史の重みというか渋さを感じます。
好きですねぇこういう部分。
さて 山門をくぐると駐車スペースになっています。
お墓参りに来られた方のスペースかなと思いました。
そちらには鐘楼もあり こちらも古いものでした。
白塗りがあればもっとかっこいいのに。
奥には中門があります。
立ち入り禁止とありましたので こちらで合掌して写真を撮らせていただきました。
中門の先には本堂があります。
町中でこのようなお寺らしい建物を見ると嬉しくなります。
維持するのが大変だと思うのですが 民家のようなお寺だと悲しいです。
本堂の扁額もかっこいいですね。
ネット情報です。
山号を佛性山といい 浄土宗の寺で 開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。
ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の第(だい)のあったところで この辺を本塩竃町という。
寺伝によれば 初め西八条の遍照心院内に将軍源実朝(さねとも)の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が貞応元年(1222)に創建したもので 寺名は信子の法名本覚をとったものである。
その後 梅小路堀川に移転し 応仁の乱の荒廃のあと細川政元により高辻烏丸に再建せられ 末寺14を有する本山となった。
その後 後柏原天皇の勅願寺となったが 天正19年(1591)豊臣秀吉の命によってさらに今の地に移った。
境内墓地には八文字屋本の全盛期を築いた江戸中期の版元・八文字屋自笑(じしょう)の墓がある。

山門は開いていました

寺号の石柱

もう一つ石柱が 八文字屋自笑の墓あり

京都市の由緒書(駒札)

鐘楼

もう一つ山門がありました

寺号標

本堂

本堂の扁額

市バス「河原町五条」バス停下車徒歩1分。浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
10月の「浄土宗寺院特別大公開」では、このあたりの寺院の集中している本塩竈地区の特別公開が午前中を中心に行われました。
五条通りから南へ下る最初の寺院です。
元々は、嵯峨天皇の皇子の営む河原院の第があったとされており、1222年に3代将軍源実朝の後室である坊門信子が亡き夫の菩提を弔うために建立されました。
公開時間がわずかに1時間ということもあって、急いでのお参りでした。


最初の山門を通ると鐘楼が見えてきます。もう一つ山門をくぐります。



念仏塔です。

その横には狛犬がいました。


本堂です。
以前訪れた時には、御朱印はありませんでしたが、今回は御朱印を拝受しました。
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