おおたにほんびょう|浄土真宗本願寺派
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楽しみ方大谷本廟のお参りの記録一覧(2ページ目)

母方の檀家が真宗大谷派で祖母も眠っているので定期的にお参りさせて頂いております。
私は人間は「信仰心をもって生きる」という文明を数千年も続けてきたので、いまさらそれ以外の生き方はできないと思っています。
神仏や霊魂など科学的に一切存在しないことはわかっていますが、人間の脳が神仏や霊魂を「認知」する以上、それは「存在」するとしか捉えようがありません。
どこかで「死者に会える」なら「死」は怖くなくなります。「死」を恐れながらも「死」に向かって肯定的に向き合える、って生きる上の矛盾を受け止めて前に進むためにも必要でしょう。
仏教が広がった理由は「死」をプラスなもの、次につながるものとして受け止めたことだと思います。
それを権力者や知識人から民衆に広げた「浄土」の考えは本当に革命的だと思います。
法然さんや親鸞さんが日本人の心をどれだけ救ってこられたのか、そこに感謝の念しかありません。












英語の小ネタを少々・・・
「宗祖」ということで "the founder of Jodo Shinshu Buddhism" となっていました。
founder は「創立者」という意味なので、「宗祖」も「開祖」も「開基」も私が知る限り、ほかの英語案内板でも founder と表現されています。
このあたりは英語の語彙の限界なので、区別したい場合は言葉を補う必要があります。
ほかには「浄土信仰」という言い方だと the Pure Land Buddhism がほぼ一般的に使われています。こちらは「浄土真宗」という宗派なので、あえて "Jodo Shinshu" を使って差別化を図っているのかな?と思います。
ただ英訳 Pure Land とローマ字表記 Jodo Shinshu が並ぶ場合、2つの違いは明確にできても、逆に類似性を表現しにくくなってしまいます。
また日本語をみていると「お裏方」という表現がありました。英語表記には "Monshu's spouse (門主の配偶者)" とあります。こういう時は英語併記は助かります。

母方の檀家が真宗大谷派なので参拝しています。母の実家は山口ですが、祖母の魂が京都あるように感じます。宗派がつながっているなら、心もつながっている気がします。
一方、仏縁を捨てた日本人はどこへ帰るつもりなのでしょうか?
「個の時代」を「古き共同体からの解放」と良いようにに言う人もいるのでしょうが現実は「孤の時代」で「無縁社会」が問題になっています。
仏様のご縁ですべてつながるというのは外国人と一緒に御朱印をもって神社仏閣をめぐっていると強く感じます。神仏に敬意を払うこころを持つ者同士はつながるのだと。





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