だいつうじ|真言宗|萬祥山
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京都市南区にある真言宗の単立寺院です。
東寺の近くに戻ってきました。
山門に柵があって中に入ることはできませんが 京都市の由緒書があるのでネットで調べれば何か分かると思いながら 山門の外で手を合わせて写真を撮らせていただきました。
山門入ってすぐの所に見られるのは庫裡でしょうか。
奥に中門があり どうやらその奥に本堂があるのだと思います。
山号は萬祥山 院号は遍照心院 ご本尊は宝冠釈迦如来(鎌倉時代作)です。
京都市の由緒書によると
清和天皇の第六皇子貞純親王の御子 六孫王経基の子満仲が父の墓所に一宇を建立したのが起こりといわれる。
その後 二百六十余年を経た貞応元年(一二二二年)に 源実朝の妻 本覚尼が亡夫の菩提を弔っていたが 真空回心上人を請じて梵刹を興し 萬祥山遍照心院大通寺と名付けた。
「尼寺」と称して親しまれ 実朝の母 北条政子も大いにこの寺を援助したと言われる。
後に「十六夜日記」の著者阿仏尼も入寺し 亡夫藤原為家を供養したとされる。
足利尊氏・義満をはじめ織田・豊臣氏の崇敬も厚く 徳川氏代々も大いに興隆に努め 元禄年間には今の六孫王神社が造営され 塔頭も多数建立された。
東は大宮 西は朱雀を限りとし 南は八条 北は塩小路を境とする広大な境内であったが 江戸幕府の滅亡により衰微し 廃仏毀釈にあった。
明治四十四年(一九一一年)には旧国鉄の用地となり 六孫王神社だけを残して現地に移転し 逼塞した。
本堂には「本尊宝冠釈迦如来像」 脇には「源実朝像」が安置されている。
また 創建当時から伝わる善女龍王画像 醍醐雑事記は重要文化財に指定されている。
本覚尼置文二巻 阿仏尼真蹟 阿仏塚など 国文学上重要人物を偲ぶにふさわしいものが多く 尊氏・義満の文書も多数蔵されている。
廃仏毀釈の影響は本当に大きいですね。
現代に振り返れば 古くからの日本文化を保存できなかったという意味では 廃仏毀釈は悪だと思います。
政治的にはその限りではありませんが。
六孫王神社は 当地から1kmほど離れた所にありますが 由緒のある素敵な神社です。

外観

山門には柵がありました

石柱

洛陽第2番札所です

由緒書 駒札と言うのだそうです(初めて知りました)

大聖歓喜天と書かれています

中の様子
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