しせき さいじあと
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鎌達稲荷神社お隣の公園。西寺児童公園とあったので単に地域の公園かと思いましたが中央に小高い丘と立派な樹が二本そびえており、もしかしてと丘に登ると礎石らしきものと石碑がありました。
桓武天皇の勅願で東寺とともに創建された平安京最初の官寺。もともとは東寺より格上の扱いだったため興隆しましたが嵯峨天皇の代に東寺は空海、西寺は守敏に下賜されたが、神泉苑での降雨祈祷対決で守敏が空海に敗れたため衰退がはじまったともいわれている。守敏可哀想すぎる・・・😔天福元年(1233)火災が相次ぎ灰燼と化して以後再建されず歴史の舞台から消えていった。東寺と仲が悪かったから?とか思ってしまいますが、醍醐寺開基の理源大師・聖宝が別当を務めたりしているのでホンマに全焼を機に再建を断念しただけかもしれません。まあ東寺と同規模の寺院だったらしいので相当費用もかかるし仕方ないですねぇ・・・

児童公園内に


大木が二本

講堂の礎石らしい

史蹟西寺阯碑


案内板

歴史の面影は地下に眠っています

| 名称 | 史跡 西寺趾 |
|---|---|
| 読み方 | しせき さいじあと |
| 通称 | 西寺児童公園、右寺、右大寺 |
詳細情報
| 宗旨・宗派 | |
|---|---|
| 創建時代 | 796年(延暦15年)頃 |
| 開山・開基 | 藤原伊勢人(桓武天皇勅願) |
| 文化財 | 国の史跡
|
| ご由緒 | 西寺は、平安京への遷都から間もない延暦15年(796)頃から、平安京の入り口にあたる羅城門の西側に、東側の東寺(教王護国寺)と対称に造営された官寺である。金堂、講堂(屋根には緑釉瓦が葺かれていた)を中心として南大門、中門、五重塔、僧房、食堂などの建物が建ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていた。しかし、西寺は東寺と比べて早くから衰え、天福元年(1233)には塔も焼失し、以後は再興されることなく地中に埋もれてしまった。昭和34年以来、数多くの発掘調査が実施されて、建物跡やその屋根に葺かれた瓦、使われていた土器などが次々と発見されこの周辺の地下に平安時代の伽藍がそのまま眠っていることが明らかになった。
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