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ほうとうじ|日蓮宗深草山

寶塔寺(宝塔寺)の御由緒・歴史
京都府 龍谷大前深草駅

ご本尊三宝尊
創建時代延慶年間(1308 - 1311年)
開山・開基開山・日像、開基・藤原基経
ご由緒

平安時代前期の嘉祥年間(848-851)に藤原基経が発願、昌泰2年(899)藤原時平(ときひら)が大成した真言宗「極楽寺(ごくらくじ)」が前身と言われています。
この極楽寺は源氏物語の33帖「藤ノ裏葉」に登場するお寺です。
徳治2年(1307)住持良桂(りょうけい)が日蓮の法孫日像(にちぞう)に法論で論破され帰依したため、日蓮宗に改宗されました。
その後、応仁の乱などの影響により一時荒廃しましたが、安土桃山時代の天正18年(1590)に第8代・日銀(にちぎん)が再興し寺名を寶塔寺と改称しました。
この寺名は日像が生前京都に通じる七つの街道の入口に建てた法華題目の石塔婆の一つを、日像廟所に奉祀したことに因んでいます。

歴史
歴史[編集] 藤原基経が嘉祥年間(848年 - 851年)に発願した真言宗の極楽寺が宝塔寺の前身とされている。極楽寺は基経の没後、嫡子の藤原時平により昌泰2年(899年)に聖宝を開山として完成した。『源氏物語』「藤裏葉」帖に寺名が言及されている。 鎌倉時代末期、京都で布教にあたっていた日像は当時の極楽寺の住持・良桂と法論を行った。良桂は日像に徳治2年(1307年)に帰依し、真言宗寺院であった極楽寺は延慶年間(1308年 - 1311年)に日蓮宗に改宗し、寺名を鶴林院に改めた。 興国3年/康永元年(1342年)日像は妙顕寺で入寂、遺言により当寺において荼毘に付されて葬られた[1]。その後、...Wikipediaで続きを読む
引用元情報宝塔寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%9D%E5%A1%94%E5%AF%BA&oldid=98800838

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