ふかくさじゅうにていりょう(ふかくさきたのみささぎ)
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深草北陵。深草十二帝陵とも。珍しく由緒がはっきりしている陵であり、持明院統の歴代12帝と伏見宮栄仁親王が埋葬されている。伏見でも閑静な住宅街に鎮座しているので静かにお詣り出来ます😊

十二帝と伏見宮栄仁親王墓所

参道

珍しく御堂がある。

ただ鳥居に門があり中はうかがい知ることが出来ない😅

外出自粛ですがもう我慢も限界。しかし人の多い神社には三密を考えると行けない。そんな思考の結果、御陵参拝と相成りました。
歴代の天皇さま12人を合葬した御陵です。

《由緒書き》

《参道》

《駐車場》

《事務所》
普段は無人です。

《手水舎》

《遥拝所》
☆チェックポイント!!
よくある御陵は自然の墳墓に鳥居が立っていますが、ここは方形堂という古墳とは違う形態で、仏教要素が強いです。
境内・文化財
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持明院統の後深草法皇は、生前より、深草に納骨堂となる法華堂を建立するように指示。嘉元2年(1304年)7月16日に後深草は崩御し、遺命によって火葬された。法華堂が建立されると、嘉元3年(1305年)8月29日、伏見上皇と後伏見上皇が見守るなか落慶供養が行われ後深草法皇の遺骨が移された。
戦国時代に法華堂は焼失し、法華堂を管理していた安楽行院も衰退。後陽成天皇の遺骨が納骨された元和元年(1615年)に再建され、寛文2年(1662年)には安楽行院も再興された。しかし再建された法華堂もまもなく損壊し、元禄年間に再々建された。
明治期に深草北陵に改められた。
写真










| 名称 | 深草十二帝陵(深草北陵) |
|---|---|
| 読み方 | ふかくさじゅうにていりょう(ふかくさきたのみささぎ) |
| 通称 | 安楽行院法華堂 |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約5分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 後深草天皇(89代) 伏見天皇(92代) 後伏見天皇(93代) 後光厳天皇(北朝4代) 後円融天皇(北朝5代) 後小松天皇(100代) 称光天皇(101代) 後土御門天皇(103代) 後柏原天皇(104代) 後奈良天皇(105代) 正親町天皇(106代) 後陽成天皇(107代) 伏見宮栄仁親王 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 嘉元3年(1305年)8月29日 |
| 創始者 | 後深草法皇 |
| 本殿 | なし |
| ご由緒 | 持明院統の後深草法皇は、生前より、深草に納骨堂となる法華堂を建立するように指示。嘉元2年(1304年)7月16日に後深草は崩御し、遺命によって火葬された。法華堂が建立されると、嘉元3年(1305年)8月29日、伏見上皇と後伏見上皇が見守るなか落慶供養が行われ後深草法皇の遺骨が移された。
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| 体験 | 有名人のお墓 |
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