ふじのもりじんじゃ
藤森神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《本殿中央座》 素盞鳴命(すさのおのみこと) 別雷命(わけいかずちのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 応神天皇 (おうじんてんのう) 仁徳天皇 (にんとくてんのう) 神功皇后 (じんぐうこうごう) 武内宿禰 (たけのうちのすくね) 《本殿東座》 舎人親王 (とねりしんのう) 天武天皇 (てんむてんのう) 《本殿西座》 早良親王 (さわらしんのう) 伊豫親王 (いよしんのう) 井上内親王(いがみないしんのう) | |
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創建時代 | 神功皇后摂政三年(203年) | |
創始者 | 神功皇后 | |
ご由緒 | 京都洛南深草の里に、平安遷都以前より祀られている古社であり、古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となった。 ■本殿中央(中座)御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。
■本殿東殿(東座)御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱。
■本殿西殿(西座)御祭神は早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱。
毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、各家々に飾られる武者人形には藤森の神が宿るとされている。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。
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歴史 | 歴史[編集] 創建年代や祭神には諸説ある。社伝では、神功皇后摂政3年(203年)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国深草の里の藤森に纛旗(とうき = いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしている。当初の祭神は、本殿中央に祀られる7柱で、本殿の東には纛旗を立てたといわれる旗塚がある。 本殿は正徳2年(1712年)に中御門天皇より下賜された宮中賢所(内侍所)であり、現存する賢所としては最も古く、東殿・中央・西殿の三座から成る[1]。 本殿中央には、元からこの地に祀られていた三韓征伐にまつわる7柱を祭る。 東殿は、天平宝字3年(759年)に藤尾(京都市...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「藤森神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%97%A4%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102175893 |
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