きょうとのぎじんじゃ
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京都乃木神社ではいただけません
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京都乃木神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年09月06日(水)
参拝:2011年8月吉日
近鉄桃山御陵駅前でタクシーを拾う。駅前からは勾配が続く。住宅地がギリギリまで迫ってはいるが、すでにここは桃山御陵。およそ5分ほど勾配を走ると、鬱蒼とした森の中にたどり着く。御陵は、明治天皇が葬られている。
その御陵に寄り添うかのごとく、小さな社が建っている。御陵へと続く参道からは少し外れる。タクシーには先にこちらへまわってもらい、人気のない境内へと降り立った。
旅順・柳樹房にあった、第三軍司令部として使われた民家を移築した建物。当時の清国の民衆の家だ。民衆とはいっても富裕層だろうか。
内部は顕彰施設になっている。入り口脇には、満州や朝鮮半島で一般的に使用されていたオンドルの遺構がある。
乃木は、長州藩の出身である。幕末を少年として過ごし、あの松下村塾にも通っている。詩を好む、そんな幼少時代だったそうだ。
神社拝殿へと向かう。両側に鎮座されているのは、生前の乃木の愛馬。うち1頭は旅順開城後に、死闘を演じた敵方のステッセルから贈られたもの。
境内の片隅に、乃木の遺品や当時の資料が陳列された土蔵がある。館内は無人で、入り口脇にある箱へ拝観料100円を投げ込む。
日用品から軍服、外套、写真や遺墨がきれいに並ぶ館内。ここが神社の境内にあることをつい忘れてしまうが、神様として祀られている一角で古めかしい写真や軍服を眺めていると、やはり違和感をおぼえた。死後100年は経過しているとはいえ、遺品や写真は故人の生前を知っていたり切り取っているものである。神様にしては、生々しい。
その御陵に寄り添うかのごとく、小さな社が建っている。御陵へと続く参道からは少し外れる。タクシーには先にこちらへまわってもらい、人気のない境内へと降り立った。
旅順・柳樹房にあった、第三軍司令部として使われた民家を移築した建物。当時の清国の民衆の家だ。民衆とはいっても富裕層だろうか。
内部は顕彰施設になっている。入り口脇には、満州や朝鮮半島で一般的に使用されていたオンドルの遺構がある。
乃木は、長州藩の出身である。幕末を少年として過ごし、あの松下村塾にも通っている。詩を好む、そんな幼少時代だったそうだ。
神社拝殿へと向かう。両側に鎮座されているのは、生前の乃木の愛馬。うち1頭は旅順開城後に、死闘を演じた敵方のステッセルから贈られたもの。
境内の片隅に、乃木の遺品や当時の資料が陳列された土蔵がある。館内は無人で、入り口脇にある箱へ拝観料100円を投げ込む。
日用品から軍服、外套、写真や遺墨がきれいに並ぶ館内。ここが神社の境内にあることをつい忘れてしまうが、神様として祀られている一角で古めかしい写真や軍服を眺めていると、やはり違和感をおぼえた。死後100年は経過しているとはいえ、遺品や写真は故人の生前を知っていたり切り取っているものである。神様にしては、生々しい。
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