いちおんいん|日蓮宗大本山本圀寺塔頭|大光山
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本圀寺塔頭。続いては一音院。インターホンを押すと奥様がお迎えくださり、御首題をお伺いすると「ご住職が斜め向かいの久成院に居ますので」とのことで案内していただけました😅
また下調べせずに参拝したので後で調べたら興味深い話が・・・。一音院の開基は三好𠮷房。関白豊臣秀次の実父であり、一音院はその吉房が秀次事件に連座して讃岐に配流となり、秀吉没後に赦免されて京都に戻ってきてから息子や孫の菩提を弔うために建立したとのこと。豊臣一門ながらその不遇さゆえか吉房の名前が出てくることはあまりない。三男の秀保が豊臣秀長の養子になっているため来年の大河には出てくるかな?

山門

表札と寺紋がなければ民家です

稲荷さんかな?お庭もきれい
| 名称 | 一音院 |
|---|---|
| 読み方 | いちおんいん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-801-0608 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| 山号 | 大光山 |
|---|---|
| 院号 | 一音院 |
| 宗旨・宗派 | 日蓮宗大本山本圀寺塔頭 |
| 創建時代 | 慶長5年(1600年) |
| 開山・開基 | 日海上人(三好吉房・木下弥助) |
| ご由緒 | 慶長5年(1600)日海上人(三好吉房、木下弥助)が子息の菩提を弔うために、妻・日秀尼の支援も得て建立。日秀尼は豊臣秀吉の姉・ともであり、吉房との間に三人の子をもうけるが、長男・秀次を筆頭に次男・秀勝(朝鮮出兵中に病死。享年24)、三男秀保(秀長の養子になるも病気療養中に事故死。享年17)ともに早世。吉房は秀次事件に連座して四国に配流、秀吉没後に赦免され、京に戻る。本圀寺山内に一音院を建立、子供たちの追善・読経三昧の余生を送る。吉房は晩年法華行者になり、慶長17年(1612)下野国(栃木県)足利で没した。妙恵会総墓所の墓所がある。
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| 体験 | 御朱印武将・サムライ |
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