りんしょういん|日蓮宗大本山本圀寺塔頭|了喜山
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本圀寺十六坊巡り。山門、隣に稲荷社がありどちらも新しめ。どうやら近年に改修されたらしい。お稲荷さんにお詣り後御首題の確認をするとお入りくださいとのことでお邪魔いたしました。帳面お渡しして庫裏で待たせていただくと左手が本堂らしいので手を合わせてお題目を唱えさせていただきました。ふと事務所内に目をやると赤穂義士関連の本が並んでおり、御首題拝受の時にお伺いすると山号を了喜山といい、「了覚院」「本喜院」の二院を合併引き継いだことからこの山号にしたとのこと。この了覚院の墓地が久成院の隣りに今もあり、赤穂義士・小野寺十内の妻・丹と妹いよの墓地があるとのことでした。十内夫妻は和歌をよくして歌人としても知られており、松の廊下事件から切腹までの約二年間を離れて暮らしていた二人は歌を交えた手紙をやりとりして夫婦の絆を深めたそう。丹は夫の死後食を絶って自死したと言われており、貞女の鏡としての誉れが高かったことからお参りの人が絶えなかったそうです😭京都で赤穂義士だと東山~山科間がほとんどでこのあたりで縁があるとはちょっと意外でした😊

久成院横にある赤穂義士・小野寺十内妻烈婦丹女之墓碑

山門

稲荷社

經王大菩薩とある。大明神でないのが日蓮宗らしい😊

京都駅からぶらり散歩 本圀寺塔頭シリーズの続きです。
通常非公開の寺院ばかりですので 門だけの写真がしばらく続きますが お許しください。
林昌院(本圀寺塔頭)さんです。
こちらも門が開いているのですが ん~ 古い建物ではなかったので 外から手を合わせることにしました。
御朱印は予約制のようでしたので 諦めました。
由緒についてはHPがありましたのでそちらから。
林昌院は享禄3年(1530年)大輪院日實上人開山による日蓮宗寺院で天文法華の乱以降大本山本圀寺の塔頭となりました。
楠正成の末裔にあたる住職により楠が植えられていたことから「楠寺」とも呼ばれていました。
今も中庭には楠が3本ありその名残を残しています。
天明の大火による焼失等 これまでに幾度か改築をしてきましたが現在の伽藍は令和元年に改築いたしました。

門は開いていました

建物はこちらだけのようで

寺院の守護神の稲荷社だそうです
境内・文化財
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| 名称 | 林昌院 |
|---|---|
| 読み方 | りんしょういん |
| 通称 | 楠寺 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-351-6868 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://rinsyouin.com |
詳細情報
| 山号 | 了喜山 |
|---|---|
| 院号 | 林昌院 |
| 宗旨・宗派 | 日蓮宗大本山本圀寺塔頭 |
| 創建時代 | 享禄3(1530)年 |
| 開山・開基 | 大輪院日實上人 |
| ご由緒 | 林昌院は享禄3(1530)年、大輪院日實上人開山による日蓮宗寺院で天文法難(1536年)以降に大本山本圀寺の塔頭寺院となりました。江戸時代(1600年代中頃)楠木正成の末裔にあたる住職により楠が植えられていたことから「楠寺」と呼ばれていました。今も中庭には楠が3本ありその名残を残しています。天明の大火(1788年)による焼失等、これまでに幾度か改築をしてきましたが現在の伽藍は令和元年の改築によるものです。
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| 体験 | 御朱印武将・サムライ |
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