ちょうえんじ|浄土宗|延命山
長圓寺のお参りの記録一覧
京都市下京区にある浄土宗のお寺です。
この辺りでは いちばん大きなお寺だと思います。
山号は延命山 ご本尊は阿弥陀三尊像です。
山門が開いていて 由緒書もあったので 期待しながら境内に入らせていただきました。
それは立派な本堂があり ご本尊はアクリル板ごしに拝顔できました。
佛足石もありました。
帰宅してからネットで調べたところ ウィキペディア情報がありました。
観音堂(本尊・聖観音)は洛陽三十三所観音霊場第24番札所でした。
しまった~。御朱印拝受できず。寺務所で大きい声出しておけばよかった。
由緒については
一条天皇の頃 平安京で疱瘡が流行して多くの人が亡くなった。
それに心を痛めた大納言藤原親衡が天禄3年(972年)に恵心僧都源信に聖観音像を彫らせ それを宮中に祀って祈祷を行ったところ 疱瘡はようやくおさまった。
天正15年(1587年)に三河国から上洛してきた 浄土宗の大誉上人浄阿清巌が清水寺の観音像の霊告によって かつて疱瘡をおさめたという霊験あらたかな聖観音像が比叡山延暦寺にあることを知り それを譲り受けて現在地に観音堂を建てて祀った。
慶長13年(1608年) 清巌に帰依をしていた江戸幕府京都所司代の板倉勝重がこの観音堂に土地を寄進し 慈覚大師円仁が彫り上げた阿弥陀三尊像をも寄進した。
それを受け それらを祀る本堂や庫裏などが整備されていき 勝重の死後 院号を長圓院としたことから寺名を長圓寺とした。
天明8年(1788年)の天明の大火で伽藍が焼け落ちるが 阿弥陀三尊像と聖観音像は無事であり 間もなく第15世瑞誉が再興させる。
長圓寺は明治維新や廃仏毀釈の混乱をなんとか切り抜けたが 1931年(昭和6年)に火災にあい 阿弥陀三尊像と聖観音像・観音堂・山門以外を失った。
しかし 翌1932年(昭和7年)には早くも再建された。
とありました。
立派な山門です
由緒書もあり 期待しました
本堂もとても立派な建物です
山号額も立派
佛足石もありました
観音堂 観世音菩薩
寺務所だと思うのですが 人気がなく。。
長圓寺 参拝日 令和4年10月29日
洛陽三十三所観音霊場第二十四番の御朱印を頂きました
本堂
観音堂
洛陽三十三所観音霊場納経帖のページ
洛陽三十三所観音霊場第二十四番の御朱印
洛陽三十三観音再訪 22
市バス「大宮松原」バス停下車徒歩5分。洛陽三十三観音霊場第24番札所の浄土宗寺院。ご本尊は聖観世音菩薩です。
一条天皇の時代に平安京に疱瘡が流行って、多くの人が亡くなったことを痛めた大納言藤原親衡が、972年に恵信僧都に聖観音像を彫らせて祈祷しておさまった。
このことを知った浄阿清厳は、この聖観音が比叡山にあることを知って、それを譲り受けて現在地に観音堂を建てたのが始まりです。
ここへお参りの際には、雪が少し吹雪いて来たので、御朱印をいただいている間にお茶とお菓子をご馳走になり助かりました。」
本堂です。
こちらは観音札所の観音堂です。
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