御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

あんらくじてんまんぐう

安樂寺天満宮のお参りの記録一覧
京都府 円町駅

soo_cyan
soo_cyan
2025年10月05日(日) 08時23分45秒
4505投稿

安楽寺天満宮の手前でずいき祭りの幟を見かけたので行ってみると神輿保存会の集会所がありました😊神輿はもう御旅所に行っているので巡行終了後にしまわれるのでしょうね🤔
 集会所から西へ少し歩くと安楽寺天満宮へ。明治までは北野天満宮御供所の御供所が一之保から七之保まであり、一之保御供所があった場所とのこと。神社整理で一度北野天満宮内に遷座されましたが近年元の位置に戻されたそうです。安楽寺という名称は廃仏毀釈まで九州・太宰府天満宮が神宮寺だった天台宗寺院。道真公の亡骸を乗せた牛車が停まった場所に建てられた寺院ですね。その後、菅公の従者が菅公手掘りの御身像を祀り天満宮を(当時は大宰府と同じ安楽寺として)創建。廃仏毀釈により北野天満宮へ遷座。近年、臨済宗選佛寺のご厚意により再建されたそうです。境内は狭いながら社殿に稲荷社などもあり、また一之保天満宮舊蹟の石碑などもあります。こういうのを見てしまうと二~七はどうなっているのか探したくなるのが悪い癖なんですが😅また時間があれば探してみよう。ちなみにずいき祭りの通り道なので朝から玉垣を掃除されてる方がいたのでお話を聞くと御朱印はされていないとのことでした😅

安樂寺天満宮(京都府)

ずいき祭りの幟に囲まれたお宅

安樂寺天満宮(京都府)

瑞饋神輿保存会の集会所でした😊

安樂寺天満宮(京都府)

ずいき祭り看板

安樂寺天満宮(京都府)

天満宮由緒

安樂寺天満宮(京都府)

鳥居

安樂寺天満宮(京都府)

安樂寺旧跡碑

安樂寺天満宮(京都府)

天満宮御自作像 安樂寺石碑

安樂寺天満宮(京都府)

本殿

安樂寺天満宮(京都府)

安樂寺天満宮(京都府)

安樂寺天満宮(京都府)

扁額

安樂寺天満宮(京都府)

熊鷹稲荷大神石碑、立長大神・玉光大神石碑

安樂寺天満宮(京都府)

社殿

安樂寺天満宮(京都府)

島津製作所の島津源蔵氏が建立。円町児童公園からの遷座

安樂寺天満宮(京都府)

選佛寺鎮守稲荷由緒

安樂寺天満宮(京都府)

同小祠

安樂寺天満宮(京都府)

御神木の楠

安樂寺天満宮(京都府)

不動石

安樂寺天満宮(京都府)

一之保天満宮鳥居

安樂寺天満宮(京都府)

同扁額

安樂寺天満宮(京都府)

天満宮御寳前とあります。右側は読めない・・・

安樂寺天満宮(京都府)

天満宮舊蹟碑

安樂寺天満宮(京都府)

もう一つ御寳前の石碑

安樂寺天満宮(京都府)

社務所前に・・・毘沙門さんがいない😭

安樂寺天満宮(京都府)

かなり劣化した龍の置物

もっと読む
くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年11月20日(水) 20時00分44秒
3023投稿

京都市上京区の大きくない寺社巡りです。
選佛寺の1ブロック下手にひっそりと建つ神社です。
町中の神社にしては立派な石鳥居があり クスノキの巨木が目立ちました。
由緒書もしっかり残されており とても大切にされている神社だと分かります。
境内社として 熊鷹稲荷社と金咲稲荷社があります。
熊鷹稲荷社の祠には 紫色の雲の中に金色の狐の彫刻が彫られています。
立長大神 玉光大神 の碑も置かれていました。

ネットで調べたところ けっこう情報が載っていました。
由緒については
延喜5年 菅原道真の従者が道真の死後に大宰府から帰京し 従者の出自であった右京一条二坊一保八町に道真御自作の木像を祀った。
明治6年 北野天満宮内に遷座し 宝物や社殿を移した。
その後 近年旧跡地に現在の安楽寺天満宮が再建された。
北野天満宮の神域には 七つの「保」と呼ばれる地域があり 一之保から七之保まで七つの天満宮が鎮座していた。
各保には 北野神人という神事に奉仕する人々が居住し 神饌を供えていた。
安楽寺天満宮は「一之保」にあたり 境内には「一之保天満宮旧蹟」を示す石標がある。
安楽寺天満宮という名称は 延喜3年 道真が大宰府で死去した際  「私の亡骸は牛の車に乗せて 人に引かせずに 牛が自分で行くところで止めよ。」と遺言し その通り牛が止まったところを安楽寺として道真を葬ったことに由来する。
延喜19年 醍醐天皇の勅命により 安楽寺境内に太宰府天満宮が造営され 廃仏毀釈により安楽寺は廃寺になり 現在では太宰府天満宮だけが残る。
とありました。

安樂寺天満宮(京都府)

正面石鳥居

安樂寺天満宮(京都府)

由緒書

安樂寺天満宮(京都府)
安樂寺天満宮(京都府)

拝所 奥に本殿

安樂寺天満宮(京都府)

本殿

安樂寺天満宮(京都府)

まあまあ古い狛犬さん

安樂寺天満宮(京都府)
安樂寺天満宮(京都府)

摂社 熊鷹稲荷大明神

安樂寺天満宮(京都府)

安樂寺天満宮(京都府)

由緒書

安樂寺天満宮(京都府)

紫色の雲の中に金色の狐

安樂寺天満宮(京都府)

選佛寺の鎮守社金咲稲荷社 祠と由緒書

もっと読む
くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年11月20日(水) 20時26分01秒
3023投稿

京都市上京区の大きくない寺社巡りです。
選佛寺の下手のブロックにあります。安楽寺天満宮のお隣にもう一つ天満宮がありました。
珍しいです。
境内社なら同じ天満宮を並べることもなかろうということで 別の神社という認識です。
こちら一ノ保天満宮は お引越しを何度かされてこちらに遷ってきたようです。

901年 菅原道真が太宰府へ権帥として左遷され その地で亡くなった。
その際に 道真に従った供の者たちは 道真没後に帰京した。
905年 道真の供の者たちにより 「右京一条二坊一保八町」(現在地)に 道真自作の木像を祀った。
神仏習合の「安楽寺天満宮」(大宰府天満宮の旧称)を建立した。
また 道真の霊を筑紫より迎えてこの地に祀ったともいう。
後に 北野天満宮7か所の御供所(北野御供七保社)の筆頭とされ 「一ノ保社」と呼ばれる。
1868年 神仏分離令後の廃仏毀釈により 神宮寺の安楽寺は廃寺になる。
1873年 社殿なども北野天満宮内に遷座され 一ノ保社(時鳥天神)が祀られた。
この時 近くに祀られていた文子天満宮 老松社も北野に遷された。
その後 再び現在の旧跡地に 有志により社殿が再建される。
北野天満宮より当社に分祀された。

安樂寺天満宮(京都府)

石鳥居

安樂寺天満宮(京都府)

祠ではなく石碑が残っている

安樂寺天満宮(京都府)

不動石

安樂寺天満宮(京都府)

巨木クスノキ ご神木か

もっと読む
西縁 ゆかり
西縁 ゆかり
2017年12月12日(火) 01時43分07秒
1238投稿

北野天満宮から南へ下った先にある、住宅地の中の小さな社。

ここは道真公の従者たちによる社。
当時、太宰府へ左遷された道真公に同行した従者たちは公の没後、菅公手掘りによる自身の木造を持ち帰った。
その帰り道の道中に立ち寄った安楽寺というお寺にお願いし、都に戻った際この像を祀るのにここの寺号を使わせてもらいたい、とお願いし、快諾を得た。
その後建立された天満宮には社内寺・安楽寺があり菅公像を祀っていたが、寺社はその後完成した北野天満宮に統合された。

なにしろ菅原道真・天満宮関連は神社によって話が2転3転することも多く、菅公出生地を自称する天満宮だけでも全国に分布しているので手におえないのだが、ここは菅公の従者による創建であり、こここそが最初の天満宮である、という口伝が残されている。

そしてここは戦後改めて元々の場所に再建されたもの。
北野御供七保社、と呼ばれる、天満宮の神事に仕える人たちが住んでいる場所のうちの1つ「一ノ保」でもある。

また、境内には島津源蔵(※)が地域の子供の安全を願って建立した稲荷社が建っている。

※島津製作所創業者親子。襲名によりどちらも島津源蔵となる。これを建立したのが創業者である初代源蔵か息子である二代目源蔵かは不明。

加筆。
安楽寺については、都に戻る道中にあった寺院である、という説があるが、安楽寺天満宮由緒によると「牛がどうしても動いてくれないため、付近にあった寺にお願して供養してもらった」とあり、これを安楽寺とする説、また、北野天満宮によると「菅公を供養するために安楽寺を建立。これが後の太宰府天満宮である」ともあった。
いずれにせよ正解は不明のままですが。

安樂寺天満宮の鳥居

境内、というか全景。

安樂寺天満宮の鳥居

神仏習合時代の名残を再建したものであるため、「寺」と「宮」の字が並ぶ

安樂寺天満宮の本殿・本堂

島津源蔵氏建立による「熊鷹稲荷社」

安樂寺天満宮の鳥居

一ノ保天満宮碑。

もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ