あんらくじてんまんぐう
安楽寺天満宮のお参りの記録一覧
京都市上京区の大きくない寺社巡りです。
選佛寺の1ブロック下手にひっそりと建つ神社です。
町中の神社にしては立派な石鳥居があり クスノキの巨木が目立ちました。
由緒書もしっかり残されており とても大切にされている神社だと分かります。
境内社として 熊鷹稲荷社と金咲稲荷社があります。
熊鷹稲荷社の祠には 紫色の雲の中に金色の狐の彫刻が彫られています。
立長大神 玉光大神 の碑も置かれていました。
ネットで調べたところ けっこう情報が載っていました。
由緒については
延喜5年 菅原道真の従者が道真の死後に大宰府から帰京し 従者の出自であった右京一条二坊一保八町に道真御自作の木像を祀った。
明治6年 北野天満宮内に遷座し 宝物や社殿を移した。
その後 近年旧跡地に現在の安楽寺天満宮が再建された。
北野天満宮の神域には 七つの「保」と呼ばれる地域があり 一之保から七之保まで七つの天満宮が鎮座していた。
各保には 北野神人という神事に奉仕する人々が居住し 神饌を供えていた。
安楽寺天満宮は「一之保」にあたり 境内には「一之保天満宮旧蹟」を示す石標がある。
安楽寺天満宮という名称は 延喜3年 道真が大宰府で死去した際 「私の亡骸は牛の車に乗せて 人に引かせずに 牛が自分で行くところで止めよ。」と遺言し その通り牛が止まったところを安楽寺として道真を葬ったことに由来する。
延喜19年 醍醐天皇の勅命により 安楽寺境内に太宰府天満宮が造営され 廃仏毀釈により安楽寺は廃寺になり 現在では太宰府天満宮だけが残る。
とありました。
正面石鳥居
由緒書
拝所 奥に本殿
本殿
まあまあ古い狛犬さん
摂社 熊鷹稲荷大明神
祠
由緒書
紫色の雲の中に金色の狐
選佛寺の鎮守社金咲稲荷社 祠と由緒書
北野天満宮から南へ下った先にある、住宅地の中の小さな社。
ここは道真公の従者たちによる社。
当時、太宰府へ左遷された道真公に同行した従者たちは公の没後、菅公手掘りによる自身の木造を持ち帰った。
その帰り道の道中に立ち寄った安楽寺というお寺にお願いし、都に戻った際この像を祀るのにここの寺号を使わせてもらいたい、とお願いし、快諾を得た。
その後建立された天満宮には社内寺・安楽寺があり菅公像を祀っていたが、寺社はその後完成した北野天満宮に統合された。
なにしろ菅原道真・天満宮関連は神社によって話が2転3転することも多く、菅公出生地を自称する天満宮だけでも全国に分布しているので手におえないのだが、ここは菅公の従者による創建であり、こここそが最初の天満宮である、という口伝が残されている。
そしてここは戦後改めて元々の場所に再建されたもの。
北野御供七保社、と呼ばれる、天満宮の神事に仕える人たちが住んでいる場所のうちの1つ「一ノ保」でもある。
また、境内には島津源蔵(※)が地域の子供の安全を願って建立した稲荷社が建っている。
※島津製作所創業者親子。襲名によりどちらも島津源蔵となる。これを建立したのが創業者である初代源蔵か息子である二代目源蔵かは不明。
加筆。
安楽寺については、都に戻る道中にあった寺院である、という説があるが、安楽寺天満宮由緒によると「牛がどうしても動いてくれないため、付近にあった寺にお願して供養してもらった」とあり、これを安楽寺とする説、また、北野天満宮によると「菅公を供養するために安楽寺を建立。これが後の太宰府天満宮である」ともあった。
いずれにせよ正解は不明のままですが。
境内、というか全景。
神仏習合時代の名残を再建したものであるため、「寺」と「宮」の字が並ぶ
島津源蔵氏建立による「熊鷹稲荷社」
一ノ保天満宮碑。
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