えちごじんじゃ
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楽しみ方越後神社のお参りの記録一覧

京都市堀川通り散策。市バスで堀川通りを南下、「堀川三条」で下車、堀川六角を東に入り徒歩数分。神社庁に問合せて自分の産土神社を教えていただき越後神社に参拝。参拝した8月24日はたまたま地蔵尊の縁日、神社横にある地蔵尊を祭壇に祀りし地蔵盆が行なわれていました。話かけられたので生まれがこちらであることを伝えると小さい時に来ていたんやね、といってお地蔵様のお祀りを見学、写真を撮らせていただきました。
数十年経っても変わらず地蔵盆が行われていてその空気に触れることができて良かったです(^o^)
御祭神:
・稲荷神
福徳稲荷大明神
赤井稲荷大明神
多紀稲荷大明神
奥信稲荷大明神
吉波稲荷大明神
・福鷹龍神
・辨財天
〇由緒:室町時代から安土桃山時代にかけて活躍した杉若越後守(杉若無心)という武将の名から「越後町」に由来したとされる町の神社。
〇昔は、境内は300坪余りもあり大きな池もあったが開発により大部分が埋め立てられた。
〇駒札に「弁財天」があるのは、泉水が湧いていたからで水の神「福鷹龍神」に祈願したと思われます。
〇明治になり今日の友禅染普及の基礎を築いたと言われている備後屋の廣瀬治助、こと通称「備冶」の遺跡として有名。染色に携わる人々からは「友禅神社」とも呼ばれています。






地蔵堂

地蔵盆の御祈祷
地蔵尊を祭壇に移動して僧侶による読経中でした

地蔵盆のテント

京都市中京区にある神社です。
こちらの越後神社さんも マップを見ながらお参りしました。
たまたま通りかかる所でもないですし 鳥居が遠くから見えるわけでもありません。
少し迷いながら参道を探します。
すると路地の入口の電柱に 越後神社の参道(私有地)の貼り紙が。
奥に進むと 駐車場らしき場所に本殿が2基ありました。
ご祭神は弁財天・福鷹龍神 並祀は福徳稲荷大明神です。
神社の名は町名からで 室町期に杉若越前守と言う武人が住んでいたことによるそうです。
その屋敷の鎮守社が連綿と引き継がれ 今日の越後神社となりました。
また当地は廣瀬備治翁遺跡としても知られています。
手描友禅の名工であった廣瀬治助(備治)が型紙と色糊を組み合わせ 試行錯誤の末「写し友禅」を創栄したそうです。
当地に染工場を建て 境内の泉水を使い 大量生産を行い 今日の友禅染普及の基礎を築きました。
そのため 染色に携わる人々からは友禅神社とも呼ばれているそうです。
時々お世話になっているのですが 「ガイドブックに載らない京都」というHPに詳しいことが載っていますので そちらもあわせてどうぞ。

ようやく見つけた石鳥居

由緒書

全景

福鷹龍神

稲荷神社

住宅密集地にあります。
GoogleMapsを見ながら行ったのですが
一度では探せず、2度目でやっとたどり着きました。
迷路のような細い路地を奥に奥に…どんどん道が細くなり、まさかと思った所に発見!
見つけた時は嬉しかったです。
杉若越後守(すぎわかえちごのかみ)という
武士が住んでいたので町名も越後町となったようです。
その後、丹波篠山藩・青山家の京屋敷になり
庭園だけでも300坪 大きな池があり
中の島に祀られていた邸内社である「弁財天」や「福鷹龍神」がここに残っているのだそうです。
広瀬備治翁「ひろせびんじ」(治助)という人がそれまで手描きで少量しかできなかった友禅染を、型友禅(写友禅)技法を発明して大量につくることに成功し友禅染の発展に多大な貢献をした。この場所が作業工場があったところなので工場跡地で慰霊顕彰をしているため友禅神社といわれるそうです。
昔、鴨川でも友禅流しがありましたね。
弁財天、福鷹竜神及び福徳稲荷大明神を祀る。その間には、おまつ婆さんに由来するおまつ地蔵尊が安置されています。
おまつ婆さんって?勉強不足です😢

この道の向こうにあります。







おまつ地蔵尊 その奥 金網の向こうには大きな池のなごり小さな池がありました。

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