やくしいん|黄檗宗
薬師院へのアクセス・駐車場
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電話番号 | 075-211-1890 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
駐車場に関する投稿
京都市中京区にあるお寺です。
二条城から東に数分歩いたところにあります。
のぼりが目立つのですぐ分かりました。
とはいえ 駐車場の中にぽつんと建っている感じがします。
御朱印は庫裏のインターホンを押していただきます。
ご住職の奥様と思われる方が対応してくださったのですが 薬師院の歴史についてていねいにお話くださいました。
山号は医徳山 宗派は黄檗宗 ご本尊は薬師如来 別称こぬか薬師です。
ご本尊は10月8日だけ御開帳だそうです。
ですが 皆様ご本尊をお間違えになるのだそうです。
それは ご本尊がとても小さいからです。
ぜひ 御開帳に立ち会いたいものです。
由緒については
延暦元年(782年) 最澄は16歳の時に自ら一刀三礼で薬師如来像7体を彫り上げると その内の1体を美濃国横倉に医徳堂を設けてそこに安置したという。
この医徳堂の薬師如来像が当院の本尊であるという。
後に医徳堂から薬師院に名を改めている。
寛喜2年(1230年)に全国的に疫病が流行した際 薬師院の住職の夢枕に「我が前に来れば一切の病苦を取り除こう。来ぬか 来ぬか」と薬師如来のお告げがあったという。
以後人々が当院を訪れて祈願すると病気が平癒したことから 当院は「来ぬか薬師」という名で呼ばれるようになったという。
戦国時代に上洛を果たした織田信長により 当院は美濃国から当地に移転されたという。
その後 衰微していたところ元禄元年(1688年)に黄檗宗の鉄面寂錬禅師により再興される。
元治元年(1864年)7月19日に起きた禁門の変と それによって発生したどんどん焼けにより全焼するが1889年(明治22年)に再建された。
しかし 境内は大幅に縮小してしまった。
とありました。
のぼりが駐車場に誘導してくれます
由緒書
お地蔵様ではなさそうな
こぬか薬師如来の石柱
縁起
このお堂が薬師院
医は難しい方の字でした
扁額
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