くまのじんじゃ
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楽しみ方熊野神社のお参りの記録一覧(3ページ目)

京都三熊野の一つ、京都市左京区の熊野神社を参拝です。かつては聖護院の鎮守社でもあり、創建は京都三熊野の中で最も古いそうです。聖護院からこちらを訪れる道すがら何軒か八ツ橋の老舗が店を構えておりましたが、境内に「八ツ橋発祥之地の石碑」が設けられておりました。

熊野神社・鳥居

熊野神社・拝殿

熊野神社・境内入り口
八咫烏のマーク

熊野神社・八ツ橋発祥之地の石碑

御朱印

出張で神戸に行ったので、有給を使って京都で途中下車、京都散策してきました。
緊急事態宣言中の為人流は少なく快適な時間を過ごせました。
1日目は京都駅からレンタルサイクルを借りて京都御所周辺の散策を計画。平安神宮を目指してる時に、熊野神社はたまたま通りかかりました。
朝7時過ぎだったので社務所はまだ開いてなかったので平安神宮参拝後に改めて御朱印は頂に行ってきました。
熊野神社はわが国最初の夫婦神である「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」と「天照大神(あまてらすおおかみ)」「速玉男尊(はやたまのをのみこと)」「事解男尊(ことさかのをのみこと)」の五柱の神を祀っています。
御利益は縁結びはもちろん、安産祈願、健康長寿、鎮火、厄除があるとして信仰されています。
平安時代の811年に修験道の「日圓上人(にちえんしょうにん)」が国家守護のため、紀州(現在の和歌山県)熊野大神を勧請したことに始まるといわれています。
熊野信仰が盛んであった平安末期、後白河法皇は度々熊野御幸(熊野詣で)を行うとともに、紀州の土砂や樹木を用いて社頭の整備に力を注いだとされています。
室町時代には足利義満から広大な社地を寄進され、社域は鴨川に至るものとなりました。
その後も歴代天皇に崇敬され、庶民の信仰も集めたが、応仁の乱により荒廃したそうです。
江戸時代の1666年に、衰微を嘆いた聖護院宮道寛法親王によって再興され、1835年には大修造が行われました。
現在の本殿は、その時に下鴨神社の旧本殿を移築したものです。
1912年市電丸太町線の開通、1926年の東大路通の拡幅などにより現在の社域となったようです。



















811年(弘仁2)修験道の日円上人がこの地に紀州熊野大神を勧請したのが始まり。京都三熊野(当社・新熊野・若王子社)の最古社。聖護院の守護神でもある。応仁の乱で荒廃したが再建し、江戸期に整備された

国生みの御朱印
書置き(700円)

那岐の御朱印
毛筆書き500円



八咫烏のちょうちん


お隣には聖護院八ツ橋本店と西尾八ツ橋あり😋

聖護院の後でこちらに寄らせていただきました。
聖護院の守護神でもある新熊野神社、熊野若王子神社と共に京都熊野三山とされるんだそうです。
殆ど人が居らっしゃらない簡素な神社さんで、御朱印もハンコだけだったのですが、社は立派でした。(神主さんがいらっしゃったら書いていただけるのかなぁ)
拝殿前の狛犬さんより本殿前の狛犬さんがやけにかっこいい。
本殿は下鴨神社から移築されたそうです。
ここの絵馬も面白いです。
摂社のお稲荷さんは二柱あって一つが「金毘羅」(?金毘羅さんは稲荷じゃないのか・・・)もう一つは「豊富」と書かれてあって文字通り読めばいいのかあるいは「豊臣」か?と。
もひとつ摂社のお社があるんですが、こちらは三柱。
「神倉神」「須賀大神」「春日大神」
「神倉神」って和歌山の「熊野速玉大社」の摂社に「神倉神社」と言うのがあるそうで、神倉山の神様らしいです。巨岩がご神体で神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山らしいです。
「須賀大神」は近所に「須賀神社」があるそうで(うっかり反対方向に行ったため行けなかった)ここのご祭神はスサノウの命。ウィキによると島根に多い表記なんだそうです。ほかに「すが」は「須我」「清」「酒賀」「素鵞」と表記されるんですって。
「春日大神」は春日大社の神様ですよね。
もひとつ記述すべきはここは「八ツ橋発祥の地」神社の敷地内に聖護院の傍に本店がある「西尾八ツ橋店」の出店がありました。
拝殿
本殿の狛犬
屋根にカラスが
八ツ橋発祥の地碑と西尾為治の銅像
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