ちえこういん|浄土宗|称念山平等寺
智恵光院京都府 今出川駅
一般参拝不可
8月23日17時からの地蔵盆法要後18時まで一般拝観可能
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楽しみ方通常非公開。一般参拝は地蔵盆8月23日17時の法要後18時まで(地蔵堂のみ御開帳)

京都の盂蘭盆会と言えば地蔵盆。そして念願の六臂地蔵を拝みに智恵光院へ。山門はいつも開いていると言えば開いているのですが😅事前情報も抑えていたので恐る恐る境内へ。地蔵堂では法要が始まっており20人程集まっておりましたが檀家席には空席もあり思ったより少ないかな?って感じでした。檀家さんのご焼香後、一般参詣の方にもご焼香が回ってきて六臂地蔵様と御対面😍しかも真ん前で拝ませていただき感激です🤗(堂内写真撮影は不可)等身大の像は両手を前に合わせ、香炉と錫杖、宝珠と宝憧をお持ちでした。ちなみに六臂地蔵は小野篁作で京都六地蔵を周るのと同じ功徳があると言われています。しかも六臂のお地蔵さんは国内でも唯一なのだとか😲今年の御開帳に合わせて東京や栃木から来られたツワモノも居られました😲法要終了後じっくり拝観できる時間もあり六臂地蔵周りには観音様(三十三観音?)のほかに六地蔵とさらに2体の地蔵様が祀られ拝見させていただきました😊京都六地蔵の地蔵様は同じ小野篁作ですがきれいに彩色されているのに対しこちらの六臂蔵は彩色なくよく見られる状態。ただその威風は普通の地蔵様とは格段に違いました😊これで今年は六地蔵分の功徳を得られますかな?😅
山門
由緒
地蔵堂
本堂
獅子頭守護石
智恵姫稲荷社
弁才天社
梵鐘には天女と獅子
地蔵堂と弁天堂
寺紋は牡丹
浄土宗の宗門
寺号標

6月参拝の投稿がもう少しだけ続きます。
京都市上京区にあるお寺です。二条城北側散策でお参りしました。
通りの名にもなっている智恵光院さんですので 由緒正しきお寺ということだと思ってお参りしました。
山門は閉じられているのですが 横に駐車場があり 境内には入れます。
ただ 観光寺院ではないようで 無断立ち入りを禁じていました。(すみません)
こちらは地蔵尊が有名のようです。
六道で有名な 小野篁作の六臂地蔵を安置しています。
由緒については
永仁2年(1294)鷹司(たかつかさ)家の始祖関白鷹司兼平(かねひら)が 自家の菩提寺院として 如空(にょくう)国師を開山に請じ創建したのが当院の起りと伝える。
のち 聞益(もんえき)上人によって塔頭も整えられ 京師七光院の一つとしてますます隆盛を極めた。
しかし 享保15年(1730)年の西陣焼けや天明8年(1788)の両大火ですべて焼失し その後 漸次再興されたが 第二次世界大戦中 強制疎開で塔頭四院も廃寺とされ 今の規模に縮小された。
現在の建物は天明8年以降の再建で 本堂には本尊阿弥陀如来像を祀る。
また 小野篁(たかむら)作と伝えられる六臂(ろっぴ)地蔵像を安置した地蔵堂 弁財天を祀った小堂などがある。
寛文年間(1661年~1673年)に第112代・霊元天皇の命により 僧・宝山が洛外・六地蔵(伏見六地蔵・鳥羽地蔵・桂地蔵・常盤地蔵・鞍馬口地蔵・山科地蔵)以外の48寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所地蔵巡り(京都48願寺)のひとつに数えられました。
智恵光院は浄土宗の寺院です。
とありました。
巨大な石柱
山門は閉じられているのですが 横の駐車場からいきいきです
古い石柱
由緒書
境内は広いです
鐘楼
地蔵堂
説明
写真撮ったのですが 反射して中が見えません
獅子頭守護石
本堂
永仁2年(1294)鷹司(たかつかさ)家の始祖関白鷹司兼平(かねひら)が自家の菩提寺院として、知恩院八世の如空(にょくう)国師を開山に請じ創建したのが当院の起りと伝える。のち、聞益(もんえき)上人によって塔頭も整えられ、京師七光院の一つとしてますます隆盛を極めた。しかし、享保15年(1730)年の西陣焼けや天明8年(1788)の両大火ですべて焼失し、その後、漸次再興されたが、第二次世界大戦中、強制疎開で塔頭四院も廃寺とされ、今の規模に縮小された。
歴史をもっと見る|| 住所 | 京都府京都市上京区智恵光院前之町601 |
|---|---|
| 行き方 | 京都市営バス今出川浄福寺下車 徒歩4分
|
| 名称 | 智恵光院 |
|---|---|
| 読み方 | ちえこういん |
| 参拝時間 | 一般参拝不可
|
| 参拝料 | なし |
| 電話番号 | 075-441-5920 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 称念山平等寺 |
| 院号 | 智恵光院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 1294年(永仁2年) |
| 開山・開基 | 開基:鷹司兼平 開山:如空国師 |
| ご由緒 | 永仁2年(1294)鷹司(たかつかさ)家の始祖関白鷹司兼平(かねひら)が自家の菩提寺院として、知恩院八世の如空(にょくう)国師を開山に請じ創建したのが当院の起りと伝える。のち、聞益(もんえき)上人によって塔頭も整えられ、京師七光院の一つとしてますます隆盛を極めた。しかし、享保15年(1730)年の西陣焼けや天明8年(1788)の両大火ですべて焼失し、その後、漸次再興されたが、第二次世界大戦中、強制疎開で塔頭四院も廃寺とされ、今の規模に縮小された。 |
| 体験 | 仏像札所・七福神巡り |
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