はんにょづか
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楽しみ方班女塚のお参りの記録一覧

京都市下京区にある神社です。
繁昌宮末社の奥之院です。
繁昌神社の北西にある塚で 元々繁昌神社があったところといわれています。
塚というだけあって 岩がちょこんと置いてあります。
ネット情報です。
繁昌神社は元々班女神社 半女ノ社と呼ばれており 牛頭天王の妃 針才女(はりさいじょ)を祀っていました。
それが訛って班女(はんにょ)になったそうです。
また 宇治拾遺物語には 長門前司の娘が亡くなった後に遺骸が動かず 塚になったと記されています。
この塚が今の班女塚だと言い伝えられています。
班女塚は古くから縁切りの力があるとされてきましたが 逆に悪縁を断ち切って良縁を結ぶとなり 今では繁昌神社が良縁成就・縁結びの神として信仰されています。
すぐそばには住吉姫と書かれた石碑と祠があり 延命地蔵も2つあります。
こちらの祠は呂栄(ルソン)住吉姫社で フィリピン人が祀ったと伝わります。

全景

塚の後ろに覆屋が見えます

住吉姫の石碑

延命地蔵

住吉姫社

塚 裏側

延命地蔵

幟も立っています

ご神木?

繁昌宮末社 奥之院
繁昌神社の北西にある塚で
元々繁昌神社があったところといわれています。
平安時代に長門前司の娘を葬った塚といわれており、
「宇治拾遺物語」の「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」という故事に由来が記されています。
高辻室町付近の前長門国守に2人の娘がおり、姉は早くに嫁に嫁いで高辻室町に住んでいたが、
妹は、宮仕えを辞めて家に戻り、夫もいなく、ときどき通ってくる男と、寝殿の南面の西にあたる妻戸口のところで語らいをしていた
その妹が、28歳になった頃、重い病気にかかり亡くなってしまう
妹がいつもくつろいでいた妻戸口に寝かせていた遺体を、棺に納めて鳥辺野の墓地へ運んでいくが、
着いてみると、棺が軽く、蓋が少し開いており、棺の中の遺体がなくなっていた
辺りを探したが遺体は見つからず、家に戻ってみると、遺体は妻戸口に元のような格好で寝ていた
翌日、もう一度、遺体を棺に納めて鳥辺野の墓地へ運ぶが、いつの間にか、同じように家の妻戸口に戻っていた
その翌日、遺体を棺の中へ入れようとすると、全く動かせなかった
「これは死んでもここに居たいのだろう」と思い、妻戸口の板敷きを剥がし、そこに遺体を埋めて高々と塚を築いたといわれる
その後、家の者や姉も他所に引っ越し、近所の人々も徐々に去っていき、すっかり荒れ果てて塚だけが残ったという故事です。(京都通百科事典より)
なので破談の神と言われていたのですが
今では良縁成就の神です。
「班女塚」と「繁昌神社」にお詣りして、「商売繁昌」と「良縁成就」です。






繁昌神社
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