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楽しみ方菅大臣神社のお参りの記録一覧

菅大臣神社 (菅大臣天満宮) 菅公聖蹟二十五拝

菅大臣神社 (菅大臣天満宮) 菅公聖蹟二十五拝

菅大臣神社 (菅大臣天満宮) 菅公聖蹟二十五拝

菅大臣神社 (菅大臣天満宮) 菅公聖蹟二十五拝

菅大臣神社 (菅大臣天満宮) 菅公聖蹟二十五拝

菅大臣神社 (菅大臣天満宮) 菅公聖蹟二十五拝

京都市下京区にある神社です。
こちらにお詣りするのは2回目だと思います。
菅原道真を祀る天満宮なのですが 名前が変わっていて 菅大臣神社となっています。
菅大臣天満宮とも呼ばれます。
主祭神は菅原道真公・尼神(あまがみ)・大己貴命です。
摂社は複数あり 柿本社(祭神:柿本人麻呂) 白太夫社(祭神:渡会春彦) 福部社(祭神:十川能福) 火御子社(祭神:火雷神) 老松社(祭神:島田忠臣)
末社は三玉稲荷社・春崎稲荷社があります。
この地の北に紅梅殿という神社があるのですが 両社はもとは一つの神社でした。
ネット情報です。
社地は今から約1000年前 菅原道真公の紅・白梅殿という邸宅や また菅公生誕の地と伝えられ 境内には産湯の井戸が保存されている。
仏光寺通を中心に南北二町 東西一町が当時の邸宅で 菅公が大宰府へ左遷に当り 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 と詠んだ「飛梅の地」と伝えられる。
神社は道真公の薨去の後 間もなく創建されたが 度々兵火にさらされ 鎌倉期には南北両社に分かれ 南社にあたる当社を天神御所または白梅殿社として呼ばれるようになり 北社を紅梅殿社(現在の北菅大臣神社)と分離した。
応仁の乱後 慶長19年に菅家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみや りょうじょほうしんのう)により再興され 今日に至っている。
この間 天明の大火 元治の兵乱で再度焼失するが 現本殿は 天保6年(1835年)造立の三間社流造という下鴨神社の旧殿を 明治2年に移築し その後幣殿を建立して いわゆる八棟造をなしている。

西側鳥居

社号の石柱

天満宮降誕之地

柱門

天満宮といえば牛

拝殿前の鳥居

由緒書

けっこう古いですね


鳥居の扁額

拝殿

顔が猿みたい


本殿は御簾の後ろ

境内社

境内社

境内社 三宝稲荷社・春﨑稲荷社

鳥居の扁額

覆屋の中

本殿祠

南側の鳥居

鳥居の扁額

ガレージ神社
御朱印は書き置きでいただきました

鳥居

鳥居

鳥居

鳥居

手水

撫で牛

狛犬

狛犬

狛犬

狛犬

絵馬

絵馬

鳥居

撫で牛

撫で牛

狛犬

狛犬

拝殿

飛梅

お久しぶりの菅大臣。本殿前に軽トラが停まっていたので邪魔やなぁと思いながら参拝。本殿屋で工事の人たち休憩してるのが見えよく見るとそちらに鳥居が😍今まで気づかなかったがあの邪魔な軽トラも何かのお導きだったのかしら😅摂末社三社が並び、さらには三社殿も。説明書きが全くなく扁額等もないのでとりあえずお詣り。御朱印がてら授与所で伺うとお伊勢さん、大国主、柿本人麻呂公だと教えていただき、由緒もいただけました。まあどのお社がどの御祭神かは書かれてないので伺ったことを信じましょう😌帰りにお稲荷さんも忘れずにお詣りいたしました😊

南側鳥居

社号標

本殿前阿

燈籠

由緒

吽

もう一対


撫で牛も

左:老松社(島田忠臣翁)、右:火御子社

拝殿前吽

拝殿・本殿

阿

左:白太夫(度会春彦翁)、右:福部社(十川能福翁)

本殿右奥に参道が

伊勢社らしい

天照かな?

真ん中は大国主社とお伺い。ただ、いただいた略記には大己貴命で記載



達筆すぎて読めないが

新柿本(いまかきもと)社。

柿本人麻呂を祀っています。

三社殿。八幡竹生島社かな。

神庫


天満宮誕生水石碑



奥参道の手水舎

撫で牛

手水舎の牛さん

拝殿前


稲荷社




三玉・春崎稲荷社


稲荷社鳥居は2基




西側鳥居

扁額

天満宮降誕地石碑

菅家邸址石碑

京都市下京区にある神社です。
名前から分かる通り 菅原道真を祀る神社です。
散策している際 マップで見落としていたので 急に鳥居が現れたのでびっくりしました。
こんな大きな神社を見落とすなんてあるんやぁ~と。
菅公聖蹟二十五拝の第3番であり 洛陽天満宮二十五社順拝にも含まれています。
書置きでしたが 御朱印も拝受できました。
摂社が拝殿の隣に4社ありました。
名前が分からなかったのですが ウィキペディアに
柿本社(祭神:柿本人麻呂)
白太夫社(祭神:渡会春彦)
福部社(祭神:十川能福)
火御子社(祭神:火雷神)
老松社(祭神:島田忠臣)
の5社が載っていたので どちらかが複数でお祀りされているのでしょう。
由緒については
神社は道真公の薨去の後 間もなく創建されたが 度々 兵火にさらされ 鎌倉期には南北両社に分かれ 南社にあたる当社を天神御所または白梅殿社として呼ばれるようになり 北社を紅梅殿社(現在の北菅大臣神社)と分離した。
応仁の乱後 慶長19年に菅家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみや りょうじょほうしんのう)により再興され 今日に至っている。
この間 天明の大火 元治の兵乱で再度焼失するが 現本殿は、天保6年(1835年)造立の三間社流造という下鴨神社の旧殿を 明治2年に移築し その後幣殿を建立して いわゆる八棟造をなしている。
とありました。

正面大鳥居

由緒書


二の鳥居

手水舎



牛は檻の中に

由緒書 3枚もあった

拝殿・本殿



拝殿内陣





南側の 二の鳥居

南側の一の鳥居

外に祠がありました


三玉稲荷社 / 春崎稲荷社



五條天神宮から西洞院通を北へ徒歩3分、下京区菅大臣町の菅大臣神社(菅大臣天満宮)の鳥居が見えます⛩️
こちらの御祭神は菅原道真、尼神(道真の嫡女=長女?)、大己貴命。
社地は道真邸や「菅家廊下」と呼ばれた学問所があったところ。また道真生誕の地とも(諸説あり😅)。
「東風吹かば〜」と詠まれた飛梅発祥の地でもあるのだとか。
参道沿いに社務所がありましたが、御朱印は社殿向かって左のガレージ管理事務所にお声掛けしていただきました🖌️

西洞院通から。
こちらから入ると社殿が正面に👀

南側の高辻通側

「エサを与えないでください」
・・牛に? たぶん猫なんだろうけど😅

由緒書

拝殿

右前脚を上げて玉を乗せる狛犬さん

飛梅



三玉春咲稲荷社🦊

御朱印はこちらで。
何も書かれてないので、一瞬躊躇します💦

神社の斜め前の町家の屋根に鍾馗さん。
こちらはドラマ「京都地検の女」に使用されたとか📺

同じ屋根に猫もいた😺

直書きの御朱印

菅公聖蹟二十五拝の第3番です。ここも道真さんの邸宅跡と言われる場所に立っており、そのほかにも道真さんを追って太宰府に飛んで行った飛梅の伝承地でもあります。

《一の鳥居と社号碑》
近代社格制度では府社に列格しています。意外にも高い位置に置かれていたようですね。

《表参道》
がらんとしてるかと思ったら私の参拝後から人が増え始めました。

《由緒書き》

《菅公聖蹟3番の石碑》
菅公聖蹟二十五拝を定めた松浦武四郎氏が、選定した二十五社に神鏡と石碑を奉納しました。現在では14社に現存しています。

《手水舎》
水は溜まっていません。

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
現在の拝殿は下鴨神社の古用材を下賜されて作られています。実際お参りのため拝殿近くまで行くと雰囲気でわかります。

《老松社》
お守りいただいてるようですが居眠り中です。

《京洛八社巡り》
関係があまりなさそうな八社ですが、実は御祭神の方々は時の権力者に都を追われた方という共通点があります。

《事務所》
御朱印、書き置きでいただきました。

《稲荷社》
いつもお世話になってお(🤛

「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」菅原道真のこの一首で有名な飛び梅の神社
鳥居を潜ったらすぐ飛び梅ありました。
花の季節じゃないので写真撮ってないです。咲いてなくても撮っておくべきでした😢
京都には道真公の誕生地が三か所あって、産湯の井戸などがあります。菅原院天満宮神社と吉祥院天満宮とこの菅大臣神社が道真公の誕生地です。
三か所お参りするのも良いと思います。
私は管大臣神社で三か所お参り出来ました。
管大臣神社の周辺はもと道真の邸や、菅家廊下といわれた学問所の跡とも言われてます。
本殿はもと下鴨神社の本殿を、1869年(明治2)に移築したもの。幣殿と合わせて八棟造り、銅巻柿葺の豪華な建築なんだそうです。
やっぱり天満宮ですから 牛くんやはりました。
梅の季節もなく コロナ禍 、真夏日で
境内はひっそりしていてゆっくりお参り出来ました。
御朱印は月極駐車場の所で今は書置の御朱印を授与して頂けます。












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