ごじょうてんしんぐう
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楽しみ方五條天神宮のお参りの記録一覧

虫の知らせか神のお導きか・・・近くに来たので寄り道でお詣りしようとしたら社務所が開いてる😍急ぎ社務所へ向かい御朱印をお願いし、その間に本殿と末社をお詣りしました🤗天神宮ですが天神さん(菅原道真公)メインではないのですが北白川天神と同じく少彦名命が祀られています。蛤御門の変で焼失しており境内は立地上縮小を余儀なくされておりますが本殿後ろに摂末社もきちんとそろっており、また本堂前には「醫祖神之碣」の石碑があり、薬の祖である少彦名命を称えた銘文とのこと。近年倒壊したが、同じ内容の碑文が大阪の少彦名神社にあり(五條天神社の方が原碑とのこと)、再現されたとのこと。ちなみに原碑は明和6年(1769)の建立とのことで今年の大河ドラマとほぼ同時期なので医療の神様がいかに重要視されていたかがうかがえますね😊
ちなみに社務所の開所は不定期ですが日月曜はだいたい開けているとのこと。また月末の午後と1日の午前も居られるそうです。確実なのは祭日(例祭、氏子祭、節分)とのことでしたので御朱印希望の方はご参考に😅

北側鳥居

阿

吽

拝殿

扁額

醫祖神之碣

筑紫天満宮

撫で牛

四社殿。福部、金刀比良、大国主、白太夫

稲荷さん

猿田彦さんと弁財天

燈籠

手水舎

境内

由緒駒札

祭事等

東鳥居

京都市下京区にある神社です。
五条通りからわき道を北に上がったところにあります。
町中の神社さんにしては広いかなぁぐらいに思っていたのですが いやいや すごい歴史のある神社さんでした。
主祭神は少彦名命(すくなびこなのみこと) 配祀神は大巳貴命(おおなむぢのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)です。
来年の干支 「辰」の開運招福の置物がありましたので拝受しました。
結構な金額のものでも 「お代はお賽銭箱に」 とあり 信仰心のある日本人だからこそだなぁと思いました。
由緒については
社伝によれば 延暦13年(794年)に桓武天皇の平安京遷都の折 天皇の命により大和国宇陀郡から空海が天つ神(あまつかみ)を勧請したのが当社の創建であるという。
洛中最古の社である。
当初は「天使の宮」「天使社」と称した。
天皇のご病気や疫病流行の折には 病気退散のため社前に靭(ゆき)を掲げて祈願し 室町時代以降は疫神 医道の祖神とされた。
また最澄と空海は唐への出発前 当社において無事帰国を祈願している。
後鳥羽上皇の時代に「五條天神宮」へ改称された。
社号の五條は 当社北側にある松原通がかつて五条通と呼ばれていたことに由来する。
とありました。

石鳥居 なかなか大きいです

由緒書

拝殿・本殿



開運招福 干支の置物

本殿

市比賣神社から五条通を西へ、西洞院通を北へ200mほど上がると下京区天神前町の五條天神宮です⛩️
通称は天使の宮と呼ばれています。
「天神」表記でも主祭神は菅原道真ではありません。
延暦13年(794)、平安京遷都の際に桓武天皇の命で大和国から「天つ神(高天原の神)」を勧請したのが始まりだといいます。
ちなみに境内社には筑紫天満宮があって、撫で牛さんもいらっしゃいますよ🐮
神社横のマンション1階が社務所になってますが、この日は無人で御朱印はいただけず😣
ところで・・
五條天神宮西側の東中筋通沿いに「天使突抜」という町名があります👼
豊臣秀吉が京都に通りを新設した時に、五條天神宮(天使の宮)の広大な鎮守の森を突き抜いたのが由来だとか💦
周辺を歩くと「天使突抜」があちこちに😅

西洞院通側が正面。
左手のマンションに社務所。

拝殿

社殿の後ろに境内社あり

撫で牛さん🐮

境内社の筑紫天満宮

境内社がたくさん🙏

社務所のインターホン壊れてました😥

2種類の御朱印があるようです

天使突抜二丁目👼

駐車場も天使突抜👼

マンションも天使突抜👼
京都府のおすすめ❄️
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