はちまんぐうしゃ・やはたぐうしゃ(ながみねはちまんぐう)
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長峰八幡宮へ。正式には「八幡宮社」だそう。どうやら大歳神社さんの兼務社のようで入野神社や大原野界隈の大原野神社以外の神社はほとんどが大歳神社さんが兼務されているようです🤔本殿横の参集殿らしき建物は倒壊の恐れがあり立ち入り禁止。大歳神社さんのHPには境内社があるようなのですが見つけられませんでした😥本殿お詣りしてあとにしました。

参道

鳥居

手水舎

本殿前

参集殿らしいのだが倒壊の恐れで立ち入り禁止

本殿

阿

吽




かごの樹


京都市西京区にある神社です。
車を停めるスペースがなく 少しの間 道に停めさせていただきました。
すぐ近くに長峰城跡がありますが 広い住宅街があるわけではないので 山城だったと思います。
道からは少し石段を上がったところに一の鳥居がありました。
すぐそばに二の鳥居もあります。
さらに少し石段を上がると本殿と崩れかけの建物がありました。
本殿の拝所では戸が閉まっていて 内陣を見ることができませんでした。
崩れかけの建物の中には 小さなお稲荷さんがありました。
境内には遊具があり 子供たちの遊び場にもなっているようです。
ネットで調べたところ この地はもともと古墳だったようで 本殿の部分が盛り上がっていたのは古墳の上に建っているということなのだと思いました。
Googleマップで見ると円墳のようにも見えます。
ネット情報です。
大原野石作町の八幡宮社(やはたぐうしゃ)は 長峰八幡宮ともいう。
大歳神社の相殿に祀られている式内・石作(いしつくり)神社の旧鎮座地ともいわれている。
祭神は應神天皇(おうじんてんのう) 天照大神(あまてらすおおかみ)。
式内社論考社。
平安時代の『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)記載の「乙訓郡十九座 大五座 小十四座」中の「石作神社」の旧地ともいわれている。
創建の詳細 変遷は不明。
本殿下には「八幡宮古墳」がある。
片袖式横穴式石室であり 古墳時代後期の円墳とみられ 隣接している円山古墳群の一基ともいう。
玄室の高さ1.2m 長さ2.95m 幅0.98m 羨道部の高さ1.1m 長さ1.25m 幅1.47m。
また 後世 長峰城といわれる山城が一帯に築かれたという。
詳細不明。

一の鳥居 小高い丘にあります

二の鳥居

手水舎 からっから

もう少し石段を上がったら本殿

拝殿

まあまあ古そうです


拝所

本殿横から

壊れかけの建物

の中に お稲荷さん

境内には遊具がありました
| 名称 | 八幡宮社(長峰八幡宮) |
|---|---|
| 読み方 | はちまんぐうしゃ・やはたぐうしゃ(ながみねはちまんぐう) |
| 参拝時間 | 境内自由 |
| 電話番号 | 075-951-1025 (長岡天満宮) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 応神天皇 天照大神 |
|---|---|
| ご由緒 | 本殿は横穴式古墳と言われる石室の上に、拝殿と共に建てられている。神社由緒に関する諸文献は、保管総代廃家となり、引継ぎもなく惜しくも消滅した。江戸末期には寄進書、灯籠等あり、現境内地に石作神社が鎮座していたと考えられる。古墳(石作神社)は式内社である。 付近に長峰寺があり、神宮寺であったと思われる。明治までの神仏混淆時代そのままの行事(節会)がある。境内の西側の竹薮には「大神宮」と言う字名の地があり、石棺(陶棺)が出土、中に大刀があったと言う。石作神の造った石棺と思われる。 参道の東側は旧小字「段」と呼ぶが、ここに25坪位の大きさの家跡が39戸分ある。い つしか人家は分散した。昔はこの地は「上ノ町」の住居とも言う。
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