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こんぞうじ|天台宗西岩倉山

金蔵寺のお参りの記録一覧
京都府 長岡天神駅

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年10月10日(金) 19時34分28秒
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京都市西京区にあるお寺です。
この日は西京区をまわりました。
西京区というと 西国三十三霊場の善峯寺が有名ですが こちらの金蔵寺も善峯寺のように市街地からずいぶん山に入った場所にあります。
善峯寺より山道が厳しく 対向車来ないでね と願いながら走るような道です。
駐車場はありますが そんなに台数は多く停められません。
東海自然歩道という道もあり 徒歩の方はこちらを通りますが しっかり山道です。
車を停めたら すぐに仁王門があります。
古くて気合の入った金剛力士様は すごく素敵な表情をされています。
いわゆる本格派です。私は大好きです。
こちらで入山料・拝観料を支払います。(無人)
こんなに山奥ですが 洛西三十三観音霊場の二番札所になっていて 参拝者は少なくないようです。
仁王門をくぐり 石段を上がると堂宇が見えてきます。
右手に護摩堂 左手に寺務所がありました。
さらにけっこう急な石段を上がると本堂になります。
こちらの狛犬さんも古くて立派なお姿がかっこいいです。
本堂は古刹の山寺らしく 木材が程よく色あせています。
私はこのような建造物を観るのが大好きです。
しっかり管理されているので崩れるほどの傷みではなく 歴史の長さを感じるていどには傷んでいる。
江戸時代に再建されていますので 300年ほどの歴史を刻み 私たち参拝者を迎えているわけです。
こんな素敵な寺院では ゆっくり時間を過ごします。
本堂横からは愛宕大権現に続く石段があります。
この石段けっこうきついです。妻は下で待っていることにしました。私はテンションアゲアゲです。
お堂の内陣を拝見することはできませんでしたが こちらも立派なお堂でした。
お堂のまわりだけが拓かれているので 少し離れて見ると 本当に山の中だと実感します。
近くには開山堂もありました。
こちらも立派な建物です。
「開山隆豊禅師行善大和尚と歴代の祖師先徳をお祀りしてあります。総欅(けやき)造りにして当山で最も立派なお堂で宝永二年桂昌院尼公の建立です」と札に書かれていました。
内陣にある坐像は 開山の隆豊禅師だと思います。
本堂左手の石段を上がると 境内社が3つあります。
左から「山王権現 十三仏堂」「荒神 歓喜天堂」「向日明神 地蔵堂」です。
ゆっくりお堂を巡り 最後は護摩堂の奥にある小さな石井(いわい)という泉に行きました。
別名「雲生水(うんじょうすい)」とも呼ばれ 今も湧き出ています。
この石井の上には石井神社があったのですが 麓の坂本部落にある山王社に昭和28年(1953)に合祀され 遷されたということです。
後で石井神社も投稿させていただきます。
最後に寺務所へ。
無人で御朱印は書置きのものがありました。
と言いつつ ご住職にご用の方がいらっしゃって ピンポン押してご住職とお話をされていました。
こちらは紅葉も見事だそうなので 秋にお参りできたらなぁと思っています。

ネット情報です。
山号は西岩倉山 宗旨宗派は天台宗延暦寺派 ご本尊は十一面千手観音 創建は718年 開山は隆豊禅師 開基は元正天皇です。
金蔵寺は養老二年(718)に元正天皇の勅願を受けて隆豊禅師が創建したと伝わる天台宗の古刹。
平安京遷都に際し桓武天皇が都の周囲に経塚を築くにあたり 当寺周辺が西の岩倉とされたことが山号西岩倉山の由来である。
室町時代の著書「臥雲日件録抜尤(がうんにっけんろくばつゆう)」によれば 往時は五十近い数の子院が立ち並ぶ大伽藍が形成されていたという。
応仁の乱(1467 〜 1477) 永禄の変(1565)などに巻き込まれて荒廃した後 元禄年間(1688 〜 1704)に五代将軍綱吉の母 桂昌院によって再興された。
現存する建物はこれ以降に再建されたものである。

金蔵寺(京都府)

東海自然歩道というルートがあります

金蔵寺(京都府)

こんな道です しっかり山道

金蔵寺(京都府)

仁王門

金蔵寺(京都府)

由緒書

金蔵寺(京都府)

いい表情だと思いませんか

金蔵寺(京都府)
金蔵寺(京都府)

入山料・拝観料は仁王門で

金蔵寺(京都府)

洛西三十三観音霊場二番札所

金蔵寺(京都府)

石段を上がります

金蔵寺(京都府)

さらに上がります

金蔵寺(京都府)

ようやく手水舎 水が冷たくて気持ちいい

金蔵寺(京都府)

護摩堂

金蔵寺(京都府)

本堂まではまた石段を上がります

金蔵寺(京都府)

手水には飾り玉が浮いていました

金蔵寺(京都府)

本堂

金蔵寺(京都府)

古いし立派

金蔵寺(京都府)
金蔵寺(京都府)

本堂の由緒

金蔵寺(京都府)

拝所 色あせた木材の色が山寺の雰囲気を醸し出す

金蔵寺(京都府)

修繕費ご協力お願い

金蔵寺(京都府)

ご本尊は 千手千眼観世音菩薩

金蔵寺(京都府)

愛宕大権現社の鳥居

金蔵寺(京都府)

愛宕大権現について

金蔵寺(京都府)

さらに石段を上がります

金蔵寺(京都府)

愛宕大権現本殿

金蔵寺(京都府)

振り返る

金蔵寺(京都府)

いかにも山寺 自然の中

金蔵寺(京都府)

開山堂

金蔵寺(京都府)

開山堂の由緒

金蔵寺(京都府)

内陣

金蔵寺(京都府)

カエルが3匹

金蔵寺(京都府)

隆豊禅師像

金蔵寺(京都府)

さらに山奥に境内社

金蔵寺(京都府)
金蔵寺(京都府)

向日明神 地蔵堂

金蔵寺(京都府)

荒神 歓喜天堂

金蔵寺(京都府)

山王権現 十三仏堂

金蔵寺(京都府)

京都市の 金蔵寺由緒書

金蔵寺(京都府)

鐘楼

金蔵寺(京都府)

たぶん弁天社

金蔵寺(京都府)

池の説明

金蔵寺(京都府)

桂昌院お手植えのしだれ桜

金蔵寺(京都府)
金蔵寺(京都府)

お地蔵様

金蔵寺(京都府)

井戸のようです

金蔵寺(京都府)

寺務所

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ますみん
ますみん
2021年09月30日(木) 11時29分34秒
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(京都洛西三十三観音2番札所)

善峯寺より三鈷寺に行こうと道に迷い、先に金蔵寺に辿り着きました。
山深いところにある古刹です。
 718年、女帝・元正天皇の勅により開創で、794年、桓武天皇が経典が埋蔵されたため、西岩倉山の山号を贈られたといいます。西山の名古刹として栄え、堂塔、伽藍など一時は49院が建ち並ぶ大寺でありました。
応仁の乱などの兵乱により焼失しましたが、現在の建物が将軍・徳川綱吉の母・桂昌院により再建されました。
また、愛宕大権現は、かつて愛宕山の勝軍地蔵が遷されたもので、甲冑姿で騎乗し、右手に剣を立て、左手に幡を掲げたお姿です。武士には勝軍、庶民には火伏せの信仰を得、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈で愛宕神社よりこの地に移されました。
 明智光秀は、本能寺に攻め入る前に地蔵に祈願したといいます。
お参りした時は、読経の声が本堂に響き、ありがたい思いでした。山深いこともあり、一面の苔で、これもまた趣きがありました。青紅葉が綺麗でしたが、紅葉の時期だともっと素晴らしいのでしょう。
駐車場にひっそりと「陸軍少佐堀越明戦死之碑」があり、ご住職に伺うと、終戦間際の本土空襲を防ぐために敵機と戦って墜落戦死された堀越明少佐の慰霊碑とのこと。胸が詰まる思いします。

金蔵寺の御朱印

御朱印 京都洛西三十三観音2番

金蔵寺のその他建物

金蔵寺参道石標

金蔵寺のその他建物

元愛宕大権現石標

金蔵寺の山門・神門

山門

金蔵寺の像

金剛力士像(阿形)

金蔵寺の像

金剛力士像(吽形)

金蔵寺のその他建物

山門よりの石段

金蔵寺のその他建物

護摩堂

金蔵寺の末社・摂社

弁財天社

金蔵寺のその他建物

本堂への石段

金蔵寺の本殿・本堂

本堂

金蔵寺の本殿・本堂

本堂横から

金蔵寺の本殿・本堂

本堂扁額

金蔵寺の鳥居

愛宕大権現鳥居

金蔵寺の御朱印

勝軍地蔵について

金蔵寺の像

修行大師像

金蔵寺の塔

宝篋印塔

金蔵寺(京都府)

三社

金蔵寺の末社・摂社

葉山神社

金蔵寺のその他建物

開山堂

金蔵寺のその他建物

書院

金蔵寺のその他建物

鐘楼

金蔵寺のその他建物

陸軍少佐堀越明戦死之碑

金蔵寺のその他建物

碑横から

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