こんぞうじ|天台宗|西岩倉山
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楽しみ方金蔵寺のお参りの記録一覧

京都市西京区にあるお寺です。
この日は西京区をまわりました。
西京区というと 西国三十三霊場の善峯寺が有名ですが こちらの金蔵寺も善峯寺のように市街地からずいぶん山に入った場所にあります。
善峯寺より山道が厳しく 対向車来ないでね と願いながら走るような道です。
駐車場はありますが そんなに台数は多く停められません。
東海自然歩道という道もあり 徒歩の方はこちらを通りますが しっかり山道です。
車を停めたら すぐに仁王門があります。
古くて気合の入った金剛力士様は すごく素敵な表情をされています。
いわゆる本格派です。私は大好きです。
こちらで入山料・拝観料を支払います。(無人)
こんなに山奥ですが 洛西三十三観音霊場の二番札所になっていて 参拝者は少なくないようです。
仁王門をくぐり 石段を上がると堂宇が見えてきます。
右手に護摩堂 左手に寺務所がありました。
さらにけっこう急な石段を上がると本堂になります。
こちらの狛犬さんも古くて立派なお姿がかっこいいです。
本堂は古刹の山寺らしく 木材が程よく色あせています。
私はこのような建造物を観るのが大好きです。
しっかり管理されているので崩れるほどの傷みではなく 歴史の長さを感じるていどには傷んでいる。
江戸時代に再建されていますので 300年ほどの歴史を刻み 私たち参拝者を迎えているわけです。
こんな素敵な寺院では ゆっくり時間を過ごします。
本堂横からは愛宕大権現に続く石段があります。
この石段けっこうきついです。妻は下で待っていることにしました。私はテンションアゲアゲです。
お堂の内陣を拝見することはできませんでしたが こちらも立派なお堂でした。
お堂のまわりだけが拓かれているので 少し離れて見ると 本当に山の中だと実感します。
近くには開山堂もありました。
こちらも立派な建物です。
「開山隆豊禅師行善大和尚と歴代の祖師先徳をお祀りしてあります。総欅(けやき)造りにして当山で最も立派なお堂で宝永二年桂昌院尼公の建立です」と札に書かれていました。
内陣にある坐像は 開山の隆豊禅師だと思います。
本堂左手の石段を上がると 境内社が3つあります。
左から「山王権現 十三仏堂」「荒神 歓喜天堂」「向日明神 地蔵堂」です。
ゆっくりお堂を巡り 最後は護摩堂の奥にある小さな石井(いわい)という泉に行きました。
別名「雲生水(うんじょうすい)」とも呼ばれ 今も湧き出ています。
この石井の上には石井神社があったのですが 麓の坂本部落にある山王社に昭和28年(1953)に合祀され 遷されたということです。
後で石井神社も投稿させていただきます。
最後に寺務所へ。
無人で御朱印は書置きのものがありました。
と言いつつ ご住職にご用の方がいらっしゃって ピンポン押してご住職とお話をされていました。
こちらは紅葉も見事だそうなので 秋にお参りできたらなぁと思っています。
ネット情報です。
山号は西岩倉山 宗旨宗派は天台宗延暦寺派 ご本尊は十一面千手観音 創建は718年 開山は隆豊禅師 開基は元正天皇です。
金蔵寺は養老二年(718)に元正天皇の勅願を受けて隆豊禅師が創建したと伝わる天台宗の古刹。
平安京遷都に際し桓武天皇が都の周囲に経塚を築くにあたり 当寺周辺が西の岩倉とされたことが山号西岩倉山の由来である。
室町時代の著書「臥雲日件録抜尤(がうんにっけんろくばつゆう)」によれば 往時は五十近い数の子院が立ち並ぶ大伽藍が形成されていたという。
応仁の乱(1467 〜 1477) 永禄の変(1565)などに巻き込まれて荒廃した後 元禄年間(1688 〜 1704)に五代将軍綱吉の母 桂昌院によって再興された。
現存する建物はこれ以降に再建されたものである。

東海自然歩道というルートがあります

こんな道です しっかり山道

仁王門

由緒書

いい表情だと思いませんか


入山料・拝観料は仁王門で

洛西三十三観音霊場二番札所

石段を上がります

さらに上がります

ようやく手水舎 水が冷たくて気持ちいい

護摩堂

本堂まではまた石段を上がります

手水には飾り玉が浮いていました

本堂

古いし立派


本堂の由緒

拝所 色あせた木材の色が山寺の雰囲気を醸し出す

修繕費ご協力お願い

ご本尊は 千手千眼観世音菩薩

愛宕大権現社の鳥居

愛宕大権現について

さらに石段を上がります

愛宕大権現本殿

振り返る

いかにも山寺 自然の中

開山堂

開山堂の由緒

内陣

カエルが3匹

隆豊禅師像

さらに山奥に境内社


向日明神 地蔵堂

荒神 歓喜天堂

山王権現 十三仏堂

京都市の 金蔵寺由緒書

鐘楼

たぶん弁天社

池の説明

桂昌院お手植えのしだれ桜


お地蔵様

井戸のようです

寺務所

約一年ぶりの金蔵寺。昨年は11月頭に伺い、境内緑一色だったので今回はXで確認してからお参り。大原の方面から長峰に出てそこからプチハイキング開始。涼しくなってきたとはいえやはり坂を登っていくと汗だくに🥵途中の一言不動までたどり着いたときはちょっと感動😄そして山門・・・からの景色はあら・・・緑😱しかも山門到着と同時に雨😭本堂までの階段を登っていくと徐々に紅く染まってきた楓が見えてきました😍開山堂や愛宕大権現本殿周りとかはまだ緑が多かったのでそろそろ見頃になってきてるかなぁ・・・

一言不動尊


山門からの階段






本堂


愛宕大権現鳥居

愛宕大権現由緒

開山堂

愛宕大権現本殿





休憩所の招き猫

山門


「青もみじとあじさいの御朱印巡り」
京都市の西山周辺で毎年初夏に行われている御朱印巡りです。
今年になってやっと巡拝出来る目処が立ったので一番伺いにくいこちらから始めた。
Google mapが不具合で道が出なくて予定が立てにくかったり、当日最寄りの阪急・東向日駅に着いたら、ゲリラ豪雨に会うわ、タクシーが捕まらないわで、ほんまに辿り着けるか心許なかった。
結局バスで南春日停留所に行きそこから徒歩で参拝。
風も強くて雨もパラパラ。近道する為に舗装道路を外れて竹林の遊歩道を歩いてる時はこの頃の熊の目撃の事を思い出して怖かった。
辿り着けた時は有り難かった。
人気も無く心地良く参拝させて頂き
本堂前でしばらく休ませて頂いた。




(京都洛西三十三観音2番札所)
善峯寺より三鈷寺に行こうと道に迷い、先に金蔵寺に辿り着きました。
山深いところにある古刹です。
718年、女帝・元正天皇の勅により開創で、794年、桓武天皇が経典が埋蔵されたため、西岩倉山の山号を贈られたといいます。西山の名古刹として栄え、堂塔、伽藍など一時は49院が建ち並ぶ大寺でありました。
応仁の乱などの兵乱により焼失しましたが、現在の建物が将軍・徳川綱吉の母・桂昌院により再建されました。
また、愛宕大権現は、かつて愛宕山の勝軍地蔵が遷されたもので、甲冑姿で騎乗し、右手に剣を立て、左手に幡を掲げたお姿です。武士には勝軍、庶民には火伏せの信仰を得、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈で愛宕神社よりこの地に移されました。
明智光秀は、本能寺に攻め入る前に地蔵に祈願したといいます。
お参りした時は、読経の声が本堂に響き、ありがたい思いでした。山深いこともあり、一面の苔で、これもまた趣きがありました。青紅葉が綺麗でしたが、紅葉の時期だともっと素晴らしいのでしょう。
駐車場にひっそりと「陸軍少佐堀越明戦死之碑」があり、ご住職に伺うと、終戦間際の本土空襲を防ぐために敵機と戦って墜落戦死された堀越明少佐の慰霊碑とのこと。胸が詰まる思いします。

御朱印 京都洛西三十三観音2番

金蔵寺参道石標

元愛宕大権現石標

山門

金剛力士像(阿形)

金剛力士像(吽形)

山門よりの石段

護摩堂

弁財天社

本堂への石段

本堂

本堂横から

本堂扁額

愛宕大権現鳥居

勝軍地蔵について

修行大師像

宝篋印塔

三社

葉山神社

開山堂

書院

鐘楼

陸軍少佐堀越明戦死之碑

碑横から
桂昌院廟所がある「金蔵寺」
府道733号線を走り、小塩山の中腹にある古刹。駐車場あり。車以外の交通手段あるのかな、ってぐらい山奥。道狭い。
山門前に、入山料を入れる賽銭箱。
入山料を入れたら石階段、紅葉が綺麗。登れば右手に護摩堂、左手に寺務所、正面にまた階段(横に麗仙池)で本堂。
本堂右手を進むと愛宕大権現と小塩山の登山口、開山堂、さらに進むと(なんか小屋と)見晴台。京都が一望できる。
本堂左手奥に、桂昌院廟所がある。桂昌院は金蔵寺再建させた人です。
とにかく紅葉がすごく綺麗で、人はいないってことはないが他のお寺に比べて圧倒的に少なく落ち着いて紅葉を楽しむことができる穴場スポットだと思う。
余談で、小塩山山頂には淳和天皇陵があります(車ではいけない)。
もっと余談で、府道を走ってると普通に車道をお猿さんが歩いてました。しかも結構大きく複数匹。ナチュラルに歩道端を歩き車の邪魔をしないという賢いお猿さんです。
境内
仁王門
本堂
開山堂
小屋にいたタヌキさん
見晴台からの景色
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