すみのみやじんじゃ
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京都府長岡京市にある神社です。
主祭神は火雷神(ほのいかづちのかみ)です。
玉依姫命・建角身命・活目入彦五十狹茅尊・春日神を配祀しています。
これら祭神は賀茂別雷神社や賀茂御祖神社にも祀られていることから、両神社とのとの関係も深く、古くは非常に有力な神社であったと推測できます。
『山城国風土記』にこの神社の由緒が載っています。
社務所はあるのですが、どうやら祭事の時だけのもののようです。
すぐ隣に公園と公民館(?)があり、住宅街の一角にある神社です。
御朱印は長岡天満宮で拝受できました。
拝殿の前にある石 しめ縄がしてるのですが 何なんでしょうか
少しかわいいんですけれど
そう思いませんか
(乙訓鎮座神社)
住宅街の中に鎮座しています。
向日神社と並び、式内社「乙訓坐大雷神社」の論社となっています。『延喜式』神名帳には名神大社とあり、古くは非常に有力な神社だったようです。
こちらは継体天皇六年に詔により火雷神を鎮めて創建されたとされています。『続日本紀』702年の記事で、祈雨に験のあることから幣帛を奉る旨が記されています。これ以降、度々国史に登場しており、特に祈雨に関しては朝廷から厚い崇敬を受けた様子が窺えます。
平安時代以前は国家的に崇敬を受けましたが、中世に入ると1221年の承久の乱により灰燼に帰し、1484年になってようやく現在地に復興されたと伝えられています。旧地は現在地の西方にあったようですが、今はその痕跡は何も無いようです。
夕方にもかかわらず、地域の方々がお参りにいらしていました。
今はかつての規模は想像できませんが、村の鎮守様のようです。
社号標と鳥居
由緒
拝殿拝殿
春日社本殿
八幡宮
大神宮 稲荷社 向日神社
歴史
式内社。乙訓坐火雷神社、略して乙訓社とも言う。祭神は本殿向かって左に主神火雷神と玉依姫、建角身命、活目入彦五十狭茅尊の四神を、右に春日神(三神)を祀る。
乙訓坐火雷神は玉依姫の夫神で「山城風土記逸文」の賀茂伝説に丹塗矢の古事として見え、その御子別雷神を祭神とする上賀茂神社社、玉依姫と建角身命を祭神とする下鴨社も共に国の大弊にあずかる名神大社として社格の高い社であった。初見は『続日本紀』の大宝二年(702)の条で、殊に祈雨神として平安中期までは国史に度々出ている。承久の変(1221)で灰燼に帰し安易に復興を許されなかった。旧社地は井ノ内の西部(宮山)にあったが、文明十六年(1484)今の地に再興され、井ノ内の産土神として祀られている。
名称 | 角宮神社 |
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読み方 | すみのみやじんじゃ |
通称 | 乙訓坐火雷神社,乙訓社 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 075-951-1025 (長岡天満宮) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主祭神》 火雷神 《配祀神》 玉依姫命 建角身命 活目入彦五十狭茅尊 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 継体天皇六年(文明十六年に復興) |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 流造 |
ご由緒 | 式内社。乙訓坐火雷神社、略して乙訓社とも言う。祭神は本殿向かって左に主神火雷神と玉依姫、建角身命、活目入彦五十狭茅尊の四神を、右に春日神(三神)を祀る。
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体験 | 御朱印祭り札所・七福神巡り伝説 |
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