まんぷくじ
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萬福寺ではいただけません
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萬福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月02日(金)
参拝:2021年3月吉日
萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗(おうばく)宗の大本山の寺院。山号は黄檗山。本尊は釈迦牟尼仏。黄檗宗は、江戸時代に開宗した日本仏教13宗派の最後発の宗派で、萬福寺はその中心寺院。
創建は江戸前期の1661年、開基は4代将軍・徳川家綱、開山は中国・明出身の禅僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)。隠元は鎖国下にあった1654年、長崎の興福寺に招かれ63歳で来日、次いで摂津国富田の普門寺に住したが、その過程で信奉者を拡大。その信奉者たちが3年で帰国するつもりであった隠元を引き留めるため、4代将軍・徳川家綱に拝謁させ、ついには将軍自身も隠元に帰依し、山城宇治の地と寺院を与えた。
当寺は将軍と諸大名の援助で1679年に完成し、隠元の故郷・福州の寺と同名の黄檗山萬福寺と名付けられたが、寺院は中国・明代末期の様式で作られ、空間、仏像、言語、作法含め、全てにおいて明朝風が持ち込まれ、現在でも中国風が色濃く残っている。ちなみに、隠元が持ち込んだものは、明朝の最新の禅宗や中国文化だけではなく、インゲン豆、孟宗竹、スイカ、レンコンなどももたらしている。
当寺は、京阪宇治線・黄檗駅 /JR奈良線・黄檗駅から東に200mほどの住宅街の中にある。広大な敷地に西を正面として左右対称に伽藍が整然と配置されている。寺の随所に日本の多宗派寺院とは違ったニュアンスが感じられ、台湾や大陸の古寺に来たような錯覚さえ覚える。当寺の伽藍はたくさんあるが、そのほとんどが国指定の重要文化財となっている。
参拝時は週末の午後、一般的な観光地ではないが、参拝者はけっこう来ていた。
創建は江戸前期の1661年、開基は4代将軍・徳川家綱、開山は中国・明出身の禅僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)。隠元は鎖国下にあった1654年、長崎の興福寺に招かれ63歳で来日、次いで摂津国富田の普門寺に住したが、その過程で信奉者を拡大。その信奉者たちが3年で帰国するつもりであった隠元を引き留めるため、4代将軍・徳川家綱に拝謁させ、ついには将軍自身も隠元に帰依し、山城宇治の地と寺院を与えた。
当寺は将軍と諸大名の援助で1679年に完成し、隠元の故郷・福州の寺と同名の黄檗山萬福寺と名付けられたが、寺院は中国・明代末期の様式で作られ、空間、仏像、言語、作法含め、全てにおいて明朝風が持ち込まれ、現在でも中国風が色濃く残っている。ちなみに、隠元が持ち込んだものは、明朝の最新の禅宗や中国文化だけではなく、インゲン豆、孟宗竹、スイカ、レンコンなどももたらしている。
当寺は、京阪宇治線・黄檗駅 /JR奈良線・黄檗駅から東に200mほどの住宅街の中にある。広大な敷地に西を正面として左右対称に伽藍が整然と配置されている。寺の随所に日本の多宗派寺院とは違ったニュアンスが感じられ、台湾や大陸の古寺に来たような錯覚さえ覚える。当寺の伽藍はたくさんあるが、そのほとんどが国指定の重要文化財となっている。
参拝時は週末の午後、一般的な観光地ではないが、参拝者はけっこう来ていた。
境内入口の<総門>。1661年建立、1693年再建、国指定の重要文化財。中国牌楼式の漢門。屋根の瓦と縦書きの漢字の文字列が中華風。屋根上左右に載る魚のような像は鯱ではなく摩伽羅(マカラ)というインド仏教の想像上の生物。
総門を入って参道右手にある<放生池>。1664年造営。放生会が行われる。
参道から<三門>を望む。満開の櫻との共演。ここで参道が右に、続いて左に曲がる。
大きくそびえる<三門>。1678年建立、三間三戸二重門、国指定の重要文化財。上に掲げる「黄檗山」の扁額は開祖・隠元書。
境内はこの<三門>と背後の<放生池>を結んだ線を軸に左右対称に構成されている。
境内はこの<三門>と背後の<放生池>を結んだ線を軸に左右対称に構成されている。
「萬福寺」の扁額は開祖・隠元書。門の向こう右側に受付所(料金所)。
山門をくぐったところ。境内はとにかく広々としている。参道の敷石が、ダイヤモンドを連ねた形になっているのが面白い。
三門をくぐって参道をまっすぐ進むと<天王殿>。1668年建立、一重入母屋造、国指定の重要文化財。寺の玄関として本堂の手前にこのような堂を置くのは中国式の伽藍配置で、日本では珍しい。
<天王殿>の扁額と、正面に配置された太鼓腹の<布袋像>。布袋像は弥勒菩薩の化身とされる。
殿内左側の<四天王像>。
殿内右側の<四天王像>。
布袋像の後ろ側の<韋駄天像>。このような配置は中国・清式の様式。
天王殿を出て参道をまっすぐ進むと<大雄宝殿>。1668年建立、重層入母屋造、国指定の重要文化財。日本の一般的な寺院の「本堂」にあたる建物で、萬福寺最大の伽藍。日本で唯一、シャム産のチーク材を用いた歴史的建造物。「大雄寶殿」の扁額は開祖・隠元書。
中央は本尊の釈迦牟尼仏で、脇侍は魔訶迦葉尊と阿難陀尊。写真では見えないが、須彌壇の上の、黄金の幕の後ろに「真空」と書かれた扁額があり、明治天皇の御宸筆。
殿内左側の<十八羅漢像>。
殿内右側の<十八羅漢像>。
<大雄宝殿>を出て参道をまっすぐ進むと<法堂(はっとう)>。1662年建立、一重入母屋造、棧瓦葺。国指定の重要文化財。禅寺における重要伽藍のひとつで説法を行う場所。
内部の須彌壇には住職が登って説法をし、衆僧は問答によって所信を磨く。
ここから境内右側。大雄宝殿の右手にある<朱印所>。御朱印はこちら。
朱印所の右隣にある<齋堂>。1662年建立、単層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。堂内に緊那羅王菩薩立像を安置。高脚飯台と腰掛があり、僧衆の食堂となっている。
斎堂前の回廊に吊されている開梛(かいぱん・魚梆(ぎょほう))。時を報ずるための魚板。
齋堂の右隣にある<伽藍堂>。1669年建立、単層入母屋造、本瓦造。国指定の重要文化財。伽藍を守護する伽藍神を祀る堂宇で、本尊は華光菩薩像、両側に三面大黒天と弁財天を安置。
伽藍堂の右隣にある<鐘楼>。重層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。階上に梵鐘を吊る。当初の梵鐘は太平洋戦争で供出、戦後再鋳された。
ここから境内左側。大雄宝殿と回廊で繋がる<禅堂>。1663年建立、単層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。齋堂と左右対称位置に建つ坐禅堂。本尊は白衣観音、善財童子、八歳龍女を祀る。国指定の重要文化財。
禅堂の左隣にある<祖師堂>。1669年建立、国指定の重要文化財。伽藍堂と対称位置に建ち、中国禅宗の祖・達磨の坐像と開山・隠元禅師からの歴代管長の位牌を安置。
中央は、1663年范道生作の達磨大師像。
祖師堂の左隣にある<鼓楼>。1679年建立、重層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。鐘楼と対称位置に建ち、階上に太鼓を置く。朝5時開静、夜9時の開枕に鐘楼の大鐘と鼓楼の太鼓をもって、時刻と消灯、起居動作の始終を知らせる。
三門の左手にある<通玄門>。1675年建立、四脚門、切妻造、本瓦葺。国指定の重要文化財。開山堂と松隠堂の入口。
通玄門からまっすぐ進むと<開山堂>。1675年建立、国指定の重要文化財。
中央は、1663年范道生作の隠元禅師像。
開山堂の左手にある<松隠堂>。1663年建立、書院造、国指定の重要文化財。隠元が1664年に住持を退き1673年に死去するまで居住。死後客殿とされたが、1694年に現在地に移築、開山塔院(墓所)とされた。
開山堂の裏手にある<寿塔>。1663年建立、本瓦葺六角堂、屋根は宝形造、国指定の重要文化財。
すてき
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