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浄土院ではいただけません
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浄土院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月30日(火)
参拝:2021年3月吉日
浄土院は、京都府宇治市の平等院の境内にある浄土宗の塔頭寺院。本尊は阿弥陀如来像。
室町時代の1490年代に浄土宗の僧・栄久が荒廃した平等院を修復するために創建。江戸期の1654年に天台宗寺門派の僧・澄栄が創建した塔頭・最勝寺と並立し争いとなったが、1681年に江戸幕府の寺社奉行の裁定により浄土宗、天台宗寺門派の共同管理となって現在に至っている。
当院の境内には、正面に本堂、本堂右手に羅漢堂、左手には書院や養林庵(通常非公開)がある。本堂には阿弥陀如来坐像、両脇に法然上人像、善導大師像を祀る。羅漢堂には、宝冠釈迦如来像、両脇に須達長者、善財童子、周囲に十六羅漢像を祀る。
「養林庵書院」は、桃山時代の1601年に豊臣秀吉居城の伏見城から移築された建物で、現在は国指定重要文化財。幅・奥行ともに9mの単層入母屋造檜皮葺の建物で、広縁の中央には寛永の三筆の一人、松花堂昭乗による「養林庵」の扁額、内部には狩野山雪工房による襖絵「籬(まがき)に梅図」、山楽による床壁絵「雪景楼閣山水図」がある。書院、仏間、茶室という三つの要素を持ち、随所に桃山様式が見られる。庭には細川忠興作といわれる洗練された平庭枯山水があり、庭と建物が見事に調和している(らしい)。
室町時代の1490年代に浄土宗の僧・栄久が荒廃した平等院を修復するために創建。江戸期の1654年に天台宗寺門派の僧・澄栄が創建した塔頭・最勝寺と並立し争いとなったが、1681年に江戸幕府の寺社奉行の裁定により浄土宗、天台宗寺門派の共同管理となって現在に至っている。
当院の境内には、正面に本堂、本堂右手に羅漢堂、左手には書院や養林庵(通常非公開)がある。本堂には阿弥陀如来坐像、両脇に法然上人像、善導大師像を祀る。羅漢堂には、宝冠釈迦如来像、両脇に須達長者、善財童子、周囲に十六羅漢像を祀る。
「養林庵書院」は、桃山時代の1601年に豊臣秀吉居城の伏見城から移築された建物で、現在は国指定重要文化財。幅・奥行ともに9mの単層入母屋造檜皮葺の建物で、広縁の中央には寛永の三筆の一人、松花堂昭乗による「養林庵」の扁額、内部には狩野山雪工房による襖絵「籬(まがき)に梅図」、山楽による床壁絵「雪景楼閣山水図」がある。書院、仏間、茶室という三つの要素を持ち、随所に桃山様式が見られる。庭には細川忠興作といわれる洗練された平庭枯山水があり、庭と建物が見事に調和している(らしい)。
平等院境内に南門から入ると現れる<平等院旧南門>。安土桃山時代の17世紀初頭に伏見桃山城からの移築。浄土院はこの左後方にある。
浄土院と鳳翔館(ミュージアム)の間の小道。
左手に<養林庵書院>の入口。写真左側の檜皮葺の建物が書院。通常非公開。
こちらも<平等院旧南門>と同様、伏見桃山城からの移築。
さらに進むと左手に<大書院>。
大書院に続いて<本堂>。
本堂正面と扁額。
本堂正面にのぞく<救世船乗観音>。
本堂の左手にある<羅漢堂>。
羅漢堂の近くにある<宇治茶祖 竹庵の碑誌>。
羅漢堂の近くにある、鎌倉期の<石造宝塔>。
浄土院入口から見た<鳳凰堂>(裏側)。
すてき
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惣一郎1269投稿
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