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うじじんじゃ

宇治神社の御由緒・歴史
京都府 宇治(京阪)駅

ご祭神《主》菟道稚郎子命
創建時代313年(仁徳天皇元年)
創始者仁徳天皇
ご由緒

当神社の鎮座する場所は、宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮:きりはらひげたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命の宮居跡と伝えられております。
父である応神天皇は生前より、御祭神の菟道稚郎子命を皇嗣として指名されており、兄である大鷦鷯命(おおさざきのみこと【後の仁徳天皇】)を太子の輔導にあてられておりました。これは、我が国の古代の慣例で、なるべく若い者に嗣がせた方が、一代での活躍期間が永く、繁栄が期待できるとされていたからです。
しかしながら、菟道稚郎子命は博士の王仁(わに)から儒教の思想を受けられており、長男相続説を唱えておられました。
そのようなことから、応神天皇崩御(310年)後は、菟道稚郎子命と大鷦鷯命とが3年近くに亘って互いに皇位を譲り合い、空位が続き国の混乱を招いた。(古事記〈中巻、応神天皇〉日本書紀〈巻第十一、仁徳天皇〉)
菟道稚郎子命はこの状態を解決するため、312年に自らが皇位に就くのではなく、宮居のあったこの宇治の地で自らの命を絶つという選択をし、兄である大鷦鷯命に皇位を譲ったのである。
この出来事を悲しんだ大鷦鷯命が仁徳天皇として即位した年(313年1月3日)の313年5月、この地に菟道稚郎子命の御神霊を祀ったことが当神社の創祀である。

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