みむろとじ
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三室戸寺ではいただけません
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三室戸寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月01日(木)
参拝:2021年3月吉日
三室戸寺(みむろとじ)は、京都府宇治市にある本山修験宗の別格本山の寺院。山号は明星山。本尊は千手観世音菩薩。西国三十三所10番札所。
創建は不詳。寺伝によると、奈良時代の770年に光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧・行表が創建。当初名称は「御室戸寺」。
平安期には、9世紀に園城寺の円珍が留錫、10世紀に花山法皇が当地に離宮を造営、当時を西国三十三所巡礼の第10番札所とした。11世紀に園城寺長吏の隆明大僧正が当寺を中興、園城寺子院の羅惹院を当寺に移転させ自らも住し繁栄した。この時期、光仁天皇、花山法皇、白河法皇の三帝の離宮となったことから「三室戸寺」と称するようになった。
室町時代以降は、1462年に火災で伽藍を焼失、1487年に園城寺阿弥陀院の壱阿により本堂再建。1573年織田信長に敵対した将軍足利義昭に味方し、寺領を没収され衰退。江戸期の1639年に道晃法親王により復興した。
当寺は、京阪宇治線・三室戸駅から東方向に1kmほどなだらかに登った山間にある。山岳寺院のように境内は広く、小山の上に境内地が広がり、谷合はアジサイなどが植わった庭園になっている。
参拝時は週末の昼ごろで、10組ほどの参拝客が来ていた。
※本堂の裏手に<十八神社>があるが、当日は大規模修復工事中で拝観できず。十八神社の本殿は1487年建立で三間社流造。国指定の重要文化財。
創建は不詳。寺伝によると、奈良時代の770年に光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧・行表が創建。当初名称は「御室戸寺」。
平安期には、9世紀に園城寺の円珍が留錫、10世紀に花山法皇が当地に離宮を造営、当時を西国三十三所巡礼の第10番札所とした。11世紀に園城寺長吏の隆明大僧正が当寺を中興、園城寺子院の羅惹院を当寺に移転させ自らも住し繁栄した。この時期、光仁天皇、花山法皇、白河法皇の三帝の離宮となったことから「三室戸寺」と称するようになった。
室町時代以降は、1462年に火災で伽藍を焼失、1487年に園城寺阿弥陀院の壱阿により本堂再建。1573年織田信長に敵対した将軍足利義昭に味方し、寺領を没収され衰退。江戸期の1639年に道晃法親王により復興した。
当寺は、京阪宇治線・三室戸駅から東方向に1kmほどなだらかに登った山間にある。山岳寺院のように境内は広く、小山の上に境内地が広がり、谷合はアジサイなどが植わった庭園になっている。
参拝時は週末の昼ごろで、10組ほどの参拝客が来ていた。
※本堂の裏手に<十八神社>があるが、当日は大規模修復工事中で拝観できず。十八神社の本殿は1487年建立で三間社流造。国指定の重要文化財。
寺院入口。寺号標の後ろに案内所(料金所)。
入口入ってすぐ左手、案内所の前にある神社。扁額には<新羅大明神>とある。寺域守護か。
参道をしばらく歩くと、緩やかに上がった先に<山門>。
さらに進むと山全体が見えてくる。
境内へと続く階段の麓。階段は12段×4セクション。
階段上がってすぐ左手にある<霊泉 不動水>。
不動水から見た<本堂>。1814年再建、重層入母屋造。秘仏の千手観音立像を安置。
本堂正面。様々なサイズ・形の奉納扁額が掛かっている。
拝殿向かって右手の<勝運の牛>。口の中の玉を触ると勝運がつくとのこと。
拝殿向かって左手の<福徳兎>。丸いドーム内の卵が立つと運気が上がるとのこと。
本堂、斜めから。
本堂の右隣にある<阿弥陀堂>。
阿弥陀堂の右隣にある<鐘楼>。
鐘楼の背後にある<三重塔>。満開の桜との美の競演。1704年に兵庫県佐用郡三日月村の高蔵寺で建立されたものを、1910年に移設。
階段上がってすぐの<不動水>の右隣にある<授与所>。
階段上がってすぐの場所にある<宇賀神像>。
階段の上から見た風景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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