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いちふさやまじんぐうさとみやじんじゃ

市房山神宮里宮神社
熊本県 湯前駅

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神祇伯
神祇伯
2023年08月20日(日) 19時06分27秒
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九州に点在する神宮号の神社、その里宮です。本宮は市房山の4合目に鎮座しており、こちらにはかつての別当寺であった普門寺があり、神仏分離の折遥拝所となりました。その後火災によって焼失した後、里宮神社として再建され現在に至ります。神主さんもこちらにおり、概ねの祭事は当社にて行われています。

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《一の鳥居》

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《二の鳥居》

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《拝殿》
拝殿が再建されたのが昭和9年であり、あと10年ほどで100年を迎えます。戦前に建てられましたが戦火には遭わなかったようですね。

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《表参道》
参拝当時は風車が並べられていました。いつも置いてあるわけではないようですから、夏限定なのかもしれません。

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《拝殿内部》
1番奥で祈祷を受けてきました。御神徳にある良縁にあやかります。

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《昇龍「導きの龍」》

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《降り龍「城治めの龍」》
この一対の龍は境内にあった御神木からチェンソーアーティストの方によって作られたもので、御朱印にも描かれています。

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《軽巡洋艦球磨記念館》
👁チェックポイント‼️
当社は昭和の戦時中に運用されていた軽巡「球磨」の艦内神社として勧請されており、球磨や日本海軍についての資料を展示しています。日本海側の軍艦たちは日本の地名や旧国名、川や山の名前を使ったものが多く、同じ理由で社名にもなっている神社が多く、その軍艦の安全を願って艦内で神棚のように祀る信仰がありました。全国で見ると艦内神社もかなりの数があるようです。

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《御神木》

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《苔とイス》
なんか…涼しそう。実際は暑かったですけど。

市房山神宮里宮神社(熊本県)

《授与品》
ご祈祷によってお札とお守りとお酒、それと別にお守りをもう一体戴きました。

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歴史

市房山神宮里宮の創建は、昭和9年(1934年)ですが、その由緒は古いものがあります。

「市房山神宮 本宮(上写真)」は、市房山の中腹4合目になり参拝が容易ではありませんでした。
日本では古くから神仏習合で、神社には別当寺という付属の寺院が建立され、僧侶が神事を司ることもありました。

市房山神宮の別当寺は、最初湯山にありましたが、永正3年(1511年)、岩野に移され普門寺と号しました。しかし天正10年(1582)に住僧盛誉が殺害された猫寺騒動で無住の寺となった。

その後、慶長9年(1604)に僧頼真によって普門寺は湯前城の旧跡に再興され、相良氏から江戸時代を通して球磨郡内の寺院で再興の石高460石を給されました。

この普門寺に市房山神宮の遥拝所が設けられ人々の参拝が容易となりまし。
しかし明治5年(1872年)、普門寺は廃寺となり、単に遥拝所となりましたが、明治16年(1883年)6月5日火災によって全焼しました。

46年後の昭和4年(1929年)、遥拝所跡地に里宮建立の機運が高まり、昭和6年(1931年)2月、県から神社建設の許可を得て、建設開始。昭和9年に完成しました。

神殿(6坪)・幣殿(6坪)・拝殿(20坪)・社務所(36坪)等総経費3万5千円の計画で、湯前村(現湯前町)は、村費から1万5千円を支出し、球磨郡内全24町村(当時)から6千円の寄付を求め、その他氏子及び篤志家の寄付によるものとされました。
昭和6年11月工事開始、昭和9年(1934年)11月竣工し、4月28日に落成式が行われた。
(神社HPより抜粋)

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市房山神宮里宮神社の基本情報

住所

熊本県球磨郡湯前町下城3280-1

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

市房山神宮里宮神社

読み方

いちふさやまじんぐうさとみやじんじゃ

通称

里宮神社

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0966-43-3032
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://satomiyasan.jp/

詳細情報

ご祭神天津日高日子番能邇々芸命
天津日高日子穂々手見命
木之花之佐久夜毘売命
火照命
火須勢理命
豊玉比売命
創建時代

昭和九年(1934年)再建

創始者

不詳

本殿

三間社流造

ご由緒

市房山神宮里宮の創建は、昭和9年(1934年)ですが、その由緒は古いものがあります。

「市房山神宮 本宮(上写真)」は、市房山の中腹4合目になり参拝が容易ではありませんでした。
日本では古くから神仏習合で、神社には別当寺という付属の寺院が建立され、僧侶が神事を司ることもありました。

市房山神宮の別当寺は、最初湯山にありましたが、永正3年(1511年)、岩野に移され普門寺と号しました。しかし天正10年(1582)に住僧盛誉が殺害された猫寺騒動で無住の寺となった。

その後、慶長9年(1604)に僧頼真によって普門寺は湯前城の旧跡に再興され、相良氏から江戸時代を通して球磨郡内の寺院で再興の石高460石を給されました。

この普門寺に市房山神宮の遥拝所が設けられ人々の参拝が容易となりまし。
しかし明治5年(1872年)、普門寺は廃寺となり、単に遥拝所となりましたが、明治16年(1883年)6月5日火災によって全焼しました。

46年後の昭和4年(1929年)、遥拝所跡地に里宮建立の機運が高まり、昭和6年(1931年)2月、県から神社建設の許可を得て、建設開始。昭和9年に完成しました。

神殿(6坪)・幣殿(6坪)・拝殿(20坪)・社務所(36坪)等総経費3万5千円の計画で、湯前村(現湯前町)は、村費から1万5千円を支出し、球磨郡内全24町村(当時)から6千円の寄付を求め、その他氏子及び篤志家の寄付によるものとされました。
昭和6年11月工事開始、昭和9年(1934年)11月竣工し、4月28日に落成式が行われた。
(神社HPより抜粋)

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