みやはらさんじんぐう
宮原三神宮熊本県 有佐駅
参拝自由
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楽しみ方
こちらも鳥居も本殿も立派な神社でした。お隣の自宅で御朱印に日付けを頂きました。
軍事さんが、すごく雨の中の参拝を気にかけて下さいました。

九州に点在する神宮号を持つ神社の一つで、八代北部の総鎮守として崇敬されています。第七十八代二条天皇さまの勅命によって創建され、江戸時代にはキリシタン大名からの冷遇によって周辺の神社同様に焼き討ちにあったりしますが、肥後国領主となった加藤清正公によって再建されました。
《鳥居》
裏参道側に駐車場があります。
《由緒書き》
平安後期の創建ですが、天皇勅命による創建と、清正公による再建とその後も庇護を受けていたためか歴史がしっかり残ってます。
《手水舎》
水は貯まっています。
《随身門》
こちらの随神さんたちも他の九州の神社と同じく横を向いています。
《表参道》
《拝殿》
天皇家が用いていた五七桐紋。武家政権には豊臣家がよく使っており、清正公が秀吉方から熊本を任されたことに由来するのでしょう。
《拝殿内部》🙏
👁チェックポイント‼️
当社の御祭神はページ記載の三柱ですが、それぞれが天照大御神=伊勢神宮内宮、国常立尊=日吉大社、神武天皇=下鴨神社から勧請されたと言われています。日吉と下鴨に関しては現在の主祭神とは違っていますが、全国の日吉神社の中には大山咋神さまではなく国常立尊さまを祀ってるところもあるので、勧請当時の祭神がそのまま祀られているのかもしれません。
《本殿》
《御神木》
《摂末社》
扁額に「幡」の字だけしか読めないため御祭神が分かりません…
宮原三神宮は平治元年(1159年)、二条天皇の勅命で平盛俊(平清盛の側近)が社殿を造り、応保元年(1161年)に落成しました。その際、内大臣平重盛らが神霊を勧請し、神璽(しるし)・鏡などを納めたと伝えられています。社司には平盛俊の弟平盛房がなり、その子孫となる広松家が今日まで続いています。
小西行長の頃(天正年間)一度焼失しましたが、その後復興、現社殿は天保10年(1839年)に完成しました。以前は三宮社と呼ばれていましたが、明治維新後の神仏分離令により現在の名称になりました。
大祭は毎年10月13日で、神楽・神馬・獅子舞・亀蛇・奴などが奉納されます。[氷川町観光情報サイトより]












| 名称 | 宮原三神宮 |
|---|---|
| 読み方 | みやはらさんじんぐう |
| 通称 | 三宮社、三神宮 |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0965-62-2186 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご祭神 | 天照大御神 国常立尊 神武天皇 |
|---|---|
| ご神体 | 神璽・鏡(現存しているかは不明) |
| 創建時代 | 応保元年(1161年) |
| 創始者 | 平盛俊 |
| 本殿 | 三間社流造 |
| ご由緒 | 宮原三神宮は平治元年(1159年)、二条天皇の勅命で平盛俊(平清盛の側近)が社殿を造り、応保元年(1161年)に落成しました。その際、内大臣平重盛らが神霊を勧請し、神璽(しるし)・鏡などを納めたと伝えられています。社司には平盛俊の弟平盛房がなり、その子孫となる広松家が今日まで続いています。
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| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ夏詣 |
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