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宮原三神宮ではいただけません
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みやはらさんじんぐう

宮原三神宮
熊本県 有佐駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

社殿から見て東側に10台程度の駐車場があります。
正面(南側)脇の道路からも入れますが、北側の県道156号線から入った方がわかりやすいと思います。

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神祇伯
神祇伯
2024年09月30日(月)
1464投稿

九州に点在する神宮号を持つ神社の一つで、八代北部の総鎮守として崇敬されています。第七十八代二条天皇さまの勅命によって創建され、江戸時代にはキリシタン大名からの冷遇によって周辺の神社同様に焼き討ちにあったりしますが、肥後国領主となった加藤清正公によって再建されました。

宮原三神宮(熊本県)

《鳥居》
裏参道側に駐車場があります。

宮原三神宮(熊本県)

《由緒書き》
平安後期の創建ですが、天皇勅命による創建と、清正公による再建とその後も庇護を受けていたためか歴史がしっかり残ってます。

宮原三神宮(熊本県)

《手水舎》
水は貯まっています。

宮原三神宮(熊本県)

《随身門》
こちらの随神さんたちも他の九州の神社と同じく横を向いています。

宮原三神宮(熊本県)

《表参道》

宮原三神宮(熊本県)

《拝殿》
天皇家が用いていた五七桐紋。武家政権には豊臣家がよく使っており、清正公が秀吉方から熊本を任されたことに由来するのでしょう。

宮原三神宮(熊本県)

《拝殿内部》🙏
👁チェックポイント‼️
当社の御祭神はページ記載の三柱ですが、それぞれが天照大御神=伊勢神宮内宮、国常立尊=日吉大社、神武天皇=下鴨神社から勧請されたと言われています。日吉と下鴨に関しては現在の主祭神とは違っていますが、全国の日吉神社の中には大山咋神さまではなく国常立尊さまを祀ってるところもあるので、勧請当時の祭神がそのまま祀られているのかもしれません。

宮原三神宮(熊本県)

《本殿》

宮原三神宮(熊本県)

《御神木》

宮原三神宮(熊本県)

《摂末社》
扁額に「幡」の字だけしか読めないため御祭神が分かりません…

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歴史

宮原三神宮は平治元年(1159年)、二条天皇の勅命で平盛俊(平清盛の側近)が社殿を造り、応保元年(1161年)に落成しました。その際、内大臣平重盛らが神霊を勧請し、神璽(しるし)・鏡などを納めたと伝えられています。社司には平盛俊の弟平盛房がなり、その子孫となる広松家が今日まで続いています。
 小西行長の頃(天正年間)一度焼失しましたが、その後復興、現社殿は天保10年(1839年)に完成しました。以前は三宮社と呼ばれていましたが、明治維新後の神仏分離令により現在の名称になりました。
 大祭は毎年10月13日で、神楽・神馬・獅子舞・亀蛇・奴などが奉納されます。[氷川町観光情報サイトより]

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名称宮原三神宮
読み方みやはらさんじんぐう
通称三宮社、三神宮
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0965-62-2186
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神天照大御神
国常立尊
神武天皇
ご神体神璽・鏡(現存しているかは不明)
創建時代応保元年(1161年)
創始者平盛俊
本殿三間社流造
ご由緒

宮原三神宮は平治元年(1159年)、二条天皇の勅命で平盛俊(平清盛の側近)が社殿を造り、応保元年(1161年)に落成しました。その際、内大臣平重盛らが神霊を勧請し、神璽(しるし)・鏡などを納めたと伝えられています。社司には平盛俊の弟平盛房がなり、その子孫となる広松家が今日まで続いています。
 小西行長の頃(天正年間)一度焼失しましたが、その後復興、現社殿は天保10年(1839年)に完成しました。以前は三宮社と呼ばれていましたが、明治維新後の神仏分離令により現在の名称になりました。
 大祭は毎年10月13日で、神楽・神馬・獅子舞・亀蛇・奴などが奉納されます。[氷川町観光情報サイトより]

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Wikipediaからの引用

概要
宮原三神宮(みやはらさんじんぐう、みやのはらさんじんぐう)は、熊本県八代郡氷川町にある神社である。旧社格は郷社。八代北部全域の守護神として尊崇されている。
歴史
由緒[編集] 1159年(平治元年)、二条天皇の勅命により、平重盛が越中前司平盛俊に命じて社殿の造営がはじまる。1161年(応保元年)、社殿が竣工。平盛俊の弟である平盛房を社司に任じ、勅使平重盛らと共に神輿を報じて神霊を勧請し創建された。伊勢神宮内宮(天照大神)、日吉大社(国常立命)、下鴨神社(神武天皇)の3神を祀ったので三宮社と称した[1]。 1588年(天正16年)、キリシタン大名小西行長の焼討ちにより社殿が焼失した。1602年(慶長6年)、加藤清正公により復旧し、後の細川氏より手厚い保護を受ける。1661年(寛文元年)、神蔵寺をはじめ六坊が建立され、八代の妙見宮にならい宮原妙見社と...Wikipediaで続きを読む
引用元情報宮原三神宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%AE%E5%8E%9F%E4%B8%89%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=92582116
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