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駐車場 | 一の鳥居の横に10台程度、そこから少し坂道を登ったところにある社務所の横に10台程度。 |
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豊葦原神社に初めてお参りしました。
桜が終わり、雨上がりの緑が目に優しく映りました。
階段の文字「一二三、ひふみ」を探したんですが、私は分かりませんでした⤵️⤵️
また、じっくりと探します。
社務所不在で、御朱印いただけず「アマビエの護符」を頂きました。
球磨川を見渡す素敵な神社でした。
護符
豊葦原神社(とよあしはらじんじゃ)
《通称 遙拝神社》
御祭神
御祭神 国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、
泥土煮尊、沙土煮尊、
大戸之道尊、大苫辺尊、
面足尊、惶根尊、伊弉諾尊 伊弉冉尊、
天照皇大神、
天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火々出見尊、
鵜草葺不合尊、 建磐龍命
阿蘇津姫命、国造明神
相殿
仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
創建 天平宝字二年(758)
御由緒
「八代郡志」によれば「天平宝字ニ年(757)天神地衹十六柱を勧請し、神護景雲二年、阿蘇三座の神を合祀して村の氏神とす」とあるように諸書一定しない。創建の年代については「熊本県神社誌」も同年を記している。
また、「征夷大将軍懐良親王、高田御所在館んぽり、常に当社より吉野の行在所を遥拝せられ、社殿の修復を営み、随従の諸士に命じて石段48段を献納せしめ給う。故をもって遥拝宮と称す」とある。
現存の石段に、いろは一ニ三等の文字の刻みが今なお残っている。
「八代市史」では名和義高が後醍醐天皇より元弘の恩賞として八代の荘を頂き、建武二年((1335)内川義真が地頭代として八代に下向した。義真は荘園を守るため居城を古麓の上り山一帯に築き、八代城下に用水の取り入れ口として抗瀬を作った。これが遥拝堰の起こりで、これら用水施設の総鎮守として、南岸の高田山の麓に賀茂宮を勧請し、用水の守護と五穀豊穣の神と尊んだとしるされている。
天正年間、小西行長により、社殿等は焼却された。
慶安元年には拝殿、承応元年には本殿を改築、元禄十三年には鳥居建立、嘉永五年には本殿、幣殿、拝殿、社務所が改築された。
社号も賀茂宮から木綿葉(ゆうば)大明神遥拝宮、明治維新後に豊葦原神社と改称し、村社に列された。
#なまず信仰
ナマズは日本全域に分布しており、古くから日本人に馴染みの深い魚です。 ナマズといえば「地下の大ナマズが暴れて大地震が起こる」というように地震と関連付けられた伝承が有名ですが、九州においては古くからナマズを神の使いとして信仰する「なまず信仰」が存在します。 神武天皇の孫神にあたられる健磐龍命は阿蘇にカルデラ湖があった時代、外輪山を蹴破って水を抜き田畑を造られたという伝説があります。その際、湖の主である大ナマズが水をせき止めたため、健磐龍命によって退治されました。(阿蘇伝説) 現在大ナマズの霊は、当社を含め県内各地で祀られております。 また、北部九州には白ナマズと美肌、皮膚病治癒に関する伝説が残っています。 海神の娘・豊玉姫は傷ついた大ナマズを不憫に思い温泉をかけてあげました。すると、大ナマズは見違えるように美しい肌の白ナマズになり、喜んだ白ナマズは豊玉姫の使いになりました。 その後、皮膚病がはやった際にそのナマズが人々を治癒したとのことです。(佐賀県嬉野の豊玉姫神社)
当社でも白ナマズをお祀りしており、皮膚病の治癒にご利益があります。
~遙拝神社HPより~
#球磨川
#豊葦原神社
#熊本県八代市豊原(ぶいわら)上町3011
電話 0965-39-9123
こちらは、八代平野 数年前の🌸です
名称 | 豊葦原神社 |
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通称 | 遥拝神社 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》国常立尊,国狭槌尊,豊斟渟尊,泥土煮尊,沙土煮尊,大戸之道尊,大苫辺尊,面足尊,惶根之尊,伊弉諾尊,伊弉冉尊,天照皇大神,天忍穂耳尊,瓊瓊杵尊,彦火火出見尊,鵜草葺不合尊,健磐龍命,阿蘇津姫命,国造明神,《配》仲哀天皇,応神天皇,神功皇后 |
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