こくぞうじんじゃ
国造神社のお参りの記録一覧
【国造神社(こくぞうじんじゃ)】
熊本県阿蘇市一の宮町手野に鎮座します。肥後国一宮 阿蘇神社の北方に鎮座するため、北宮と呼ばれています。
-祭神ー
①速瓶玉命(はやみかたまのみこと)…阿蘇神社主祭神 健磐龍命(たけいわたつのみこと)の子。阿蘇国造大神。
②雨宮媛命(あまみやひめのみこと)…速瓶玉命の妃。
③高橋神(たかはしのかみ)… 速瓶玉命の第二子。
④火宮神(ひのみやがみ)…速瓶玉命の第三子。
【鳥居】
【社号標】
【参道】
【手水舎】
【北宮水神社】
【鳥居】
【鳥居 扁額】
【拝殿】
【拝殿 扁額】
【拝殿】
【拝殿・本殿】
【本殿】
【鯰宮】
【手野の杉(根)】
【手野の杉(幹)】
【参道(帰り)】
【社務所の杉(根)】
【御朱印】
阿蘇神社の北に位置しており北宮とも称される。
延喜式神名帳に記載がある肥後国四座のひとつに数えられる古社である。
現在の社殿は1672年熊本藩3代藩主・細川綱利によって造営された。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
拝殿・本殿
鯰社
手野の大杉
手野の大杉
上御倉・下御倉古墳
阿蘇神社から国造神社へ。
阿蘇神社の賑わいとは反対に静かな神社の佇まいでした。
鳥居をくぐり参道を歩いて行くと、神様がおられる。と久しぶりに感じました。
神橋を清掃されている御婦人がおられ、毎日感謝のために清掃しているのだとおっしゃってました。
わたしが神橋の「苔がかわいいですね」話したら、「そんな人初めてだ!」と言われました😅
阿蘇神社の北宮として鎮座されており、楼門の完成を静かに見守られている雰囲気でした。
書置きの御朱印
鳥居
参道
手水舎
紅葉か残ってました
御神木
拝殿
拝殿内
本殿
御神木
神橋のかわいい苔
国造神社をあとにした風景
阿蘇五岳です。
涅槃像に見えるとのこと。
阿蘇神社から5キロ先にあります。
境内は緑がたくさんです。
ここはいいですね。場所的にも参拝者がたくさん来られる場所でもないので、とっても静かです。
神秘的な気分になれますよ。
拝殿の扁額には北宮と書いてあります。阿蘇神社を本宮とする北宮なんだとか。拝殿の扁額にも北宮と記されてます。
大きな木があったり、ナマズがいたりしますよ。
神職さんは常駐しておりません。
私は今回、三日間で高千穂、熊本市、阿蘇市の神社を巡りました。熊本市内は歩いても回れますが、高千穂と阿蘇は電車バスの利用はマストでした。関東近郊を回るのとは全然違い、宿泊先や乗る電車バスの時間を細かく計画しないと厳しいと感じました💦
次に遠出する時は、修学旅行のようなしおりを作ろうと思います😅
阿蘇神社から5キロちょっとあります。そのうち4キロは畑の真ん中のまっすぐな道をひたすら歩きました🏜️
やっと鳥居が💦
鳥居の扁額はは新しいように思います。鳥居の裏には平成15年建立と書かれていましたが、上部分は熊本地震で崩れて新しくしたんじゃないのかなって思いました。
社名標
気持ち良い参道です。
川が流れてます
拝殿
拝殿は開いています。
白蛇の桧。私にはまだ道は開けないようです😵
元国指定記念物の手野のスギ。
🤔
鯰宮。
祠の下にあった石にナマズがくっついてます。
拝殿を振り返って撮影。
御朱印は阿蘇神社で手書きして頂きました。
【肥後國 式内社巡り】
国造神社(こくぞう~)は、熊本県阿蘇市一の宮町手野にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は、速瓶玉命、雨宮媛命、高橋神、火宮神。
『肥後国誌』によると、崇神天皇の御代に速瓶玉命が初代肥後国造(『国造本記』)に任命され、景行天皇18年(88年)に当社を修造し祭典を整えたとある。主祭神の速瓶玉命は、阿蘇神社の主祭神である健磐龍命の御子神で、健磐龍命とともに阿蘇の地を開拓し、農耕、植林などを指導したとされる。当社ではその速瓶玉命と、その御妃・雨宮媛命、その御子神・高橋神・火宮神を祀っている。なお、当社鳥居の西60mの地点に、速瓶玉命の墓とされる上御倉古墳と雨宮媛命の墓とされる下御倉古墳があり、これらは6世紀後半の横穴式石室を持つ巨大古墳(円墳)。
平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「阿蘇國 阿蘇郡 國造神社(くにつくりの~) 小」に比定されている。江戸時代には肥後熊本藩・細川家の崇敬を受け、現在の社殿は3代藩主・細川綱利によって造営されている。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR豊肥本線・宮地駅の北方6kmの小山の山裾(入口)の平らな場所にある。森の入口ある感じの造りで、古木の参道を進むと、リアルな川に架かる神橋を渡り、木々に囲まれた社殿に到達する。年季が入った大きな社殿も見どころだが、驚かされたのはかつて社地に自生していた超巨木(幹と根周り)の大きさ。今まで日本全国の1400ほどの寺社仏閣を見てきたが、それでも見たことがないぐらいのサイズで、古木好きの自分としては大興奮だった。
今回は、肥後国の式内社、熊本県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分たち以外にも何組かの神社好きと思しき夫婦や家族連れが参拝に訪れていた。
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>。森の入口に立っている。
一の鳥居をくぐって参道を進む。森の香りとマイナスイオンで満ちている感じ。(o^―^o)
<神橋>を渡る。
神橋を渡ってすぐ左側にある<手水舎>。
参道から見て手水舎の奥にある境内社。たぶん<水神社>。
参道を進んで<二の鳥居>。社殿はさらに一段登ったところにある。
<拝殿>正面。壁の一部が開いているタイプ。
<拝殿>内部。扁額には「北宮」とあり、その左右の額に祭神の名前が記されている。
<社殿>全景。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿とは繋がっていない独立型。
社殿の左側にあって、社殿に向かって建っている<門守社>。
社殿の左手にある建物。
拝殿の近くにある、大事にされている切株。説明板には<白蛇の桧>と書かれていて、時々この樹に現れる白蛇を見た者は運が開けるとのこと。
社殿の右側にあって、社殿に向かって建っている<鯰宮>。
鯰宮近くから見た<本殿>。床高で、造形がなかなか美しい。
社殿の右手(東側)のエリアにある<手野のスギ>。1924年に国の天然記念物に指定されたが、1991年の台風で折損した。強烈に太くて大きい。
こちらは<手野のスギ>の根の部分。
根の部分のアップ。
<社殿>全景。古社の趣がある、独特な造り。
一の鳥居近くまで戻って、参道の西側にある<社務所>。
社務所内にある<授与所>。無人だが、こちらで書置きの御朱印を拝受できる。
社務所内に展示されている、古木の根っこ。こちらもなかなか大きい。(^▽^)/
阿蘇神社の北に位置するため、通称「北宮」と呼ばれている「国造(こくぞう)神社」。約2000年の歴史を持つ古い神社のひとつです。阿蘇開拓の祖・健磐龍命(たけいわたつのみこと)の第一子で、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)、雨宮媛命(あまみやひめのみこと)、高橋神(たかはしのかみ)、火宮神(ひのみやのかみ)の四神を祭神としています。
速瓶玉命のお手植えと言われ国指定天然記念物にも指定された「手野のスギ」があります。残念ながら文政年間(1818~1830年)に男杉が火災のため枯れ、女杉もまた1991年の台風19号で被害にあい枯れてしまったため国の指定は外れましたが、その一部が祀られその姿は圧巻です。
現在の社殿は1672年に細川五代綱利公が造営したもので熊本地震にも耐え今も堂々と鎮座しています。
拝殿内に掛かる額
左から『速瓶玉命』『北宮』『火宮神雨宮媛命』
拝殿側から見た鳥居
青紅葉が爽やかでした。
国造神社(こくぞうじんじゃ・くにのみやつこ)
旧社格:縣社
御祭神:速瓶玉命、雨宮媛命、高橋神、火宮神
鳥居
雰囲気もイイです。
手水舎
御社殿。
鯰宮
ナマズを祀った全国的にも珍しい神社
「手野のスギ」
こちらが根っこでしょうか?
社務所内に書置きの御朱印が用意されています。
阿蘇神社の北にある為、北宮と称されています。
緑豊かな杜のなかにある神社です。
参道を進み神橋を渡り境内へ進んで行くと、とても清々しい気持ちになれる空気を感じました。
樹齢2000年と云われた御神木「手野の大杉」は、平成3年の台風19号の被害を受け倒れてしまいましたが、切り株と主幹は大事に保存されており、その大きさに圧倒されます。
鳥居
宮園川に架かる神橋から見た手水舎(右)、水神様(左)
境内の石段
社殿
拝殿
拝殿
白蛇の桧
水神様
大鯰の霊を祀る「鯰宮」
「手前の大杉」切り株
「手前の大杉」主幹
朴の木
石段からみた神橋と参道
社号碑
御朱印は書き置きです。
御祭神は、健磐龍命の第一子で、速瓶玉命、雨宮媛命、高橋神、火宮神の四神。
速瓶玉命のお手植えと言われ国指定天然記念物にかつて指定されてた「手野のスギ」があります。
鯰を祀った鯰宮があり、ナマズ研究者でもある秋篠宮皇嗣殿下も来られたそう。
拝殿
鳥居
大鳥居
鯰宮
樹齢2000年以上といわれてる
手野のスギ
御朱印(書置き)
ここも景観といい、佇まいといい素晴らしい神社。
こんな所にって所にありました。
空気が変わるのがビシビシきました。
静かな雰囲気の素晴らしい所でした。
下から社殿を望む。
社殿内。
説明板
手野のスギの説明
御神木。手野のスギ
書き置きの御朱印を頂きました。
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