かとうじんじゃ
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加藤神社ではいただけません
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加藤神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月07日(金)
参拝:2023年3月吉日
熊本城城内に鎮座する加藤神社。
加藤清正公が慶長12年(1607年)に熊本城を築城し、この地の治山治水工事などに尽力。
領民からは神様のように慕われ、今でも「清正公(せいしょこ)さん」と熊本県民から親しみをもって呼ばれています。
【御祭神】~境内由緒書より~
加藤清正公【永禄五年(1562)六月二十四日~慶長十六年(1611)六月二十四日】は、尾張国愛知郷中村(現名古屋市中村区)の御出身で、智仁勇の三徳を兼備され常に大義名分を重んじられると共に、上には忠と義を以て、下には慈悲と情を以てあたられた武将であります。
また、二十七歳で肥後国に入国され五十歳で逝去されるまでの間、日本三名城のひとつである熊本城の築城を始め、全県下にわたる土木・治水工事をはじめ、干拓開墾、植林、街道づくりなどのインフラ整備、貿易振興、産業の奨励保護、学問の奨励、文化の開拓そして宗教保護政策など数々の偉業を残された領主であり、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果たされた大恩人であられます。清正公の五十年の生涯は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代においても尊崇敬慕されるに相応しい政治家で、熊本の人たちは今も親しみを込めて「清正公さん(せいしょこさん)」と二重の敬称で呼んでおります。
加藤清正公が慶長12年(1607年)に熊本城を築城し、この地の治山治水工事などに尽力。
領民からは神様のように慕われ、今でも「清正公(せいしょこ)さん」と熊本県民から親しみをもって呼ばれています。
【御祭神】~境内由緒書より~
加藤清正公【永禄五年(1562)六月二十四日~慶長十六年(1611)六月二十四日】は、尾張国愛知郷中村(現名古屋市中村区)の御出身で、智仁勇の三徳を兼備され常に大義名分を重んじられると共に、上には忠と義を以て、下には慈悲と情を以てあたられた武将であります。
また、二十七歳で肥後国に入国され五十歳で逝去されるまでの間、日本三名城のひとつである熊本城の築城を始め、全県下にわたる土木・治水工事をはじめ、干拓開墾、植林、街道づくりなどのインフラ整備、貿易振興、産業の奨励保護、学問の奨励、文化の開拓そして宗教保護政策など数々の偉業を残された領主であり、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果たされた大恩人であられます。清正公の五十年の生涯は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代においても尊崇敬慕されるに相応しい政治家で、熊本の人たちは今も親しみを込めて「清正公さん(せいしょこさん)」と二重の敬称で呼んでおります。
特別御朱印がまだ残っているとのことでお分けしていただきました
大手水鉢と太鼓橋
太鼓橋は清正公が文禄の役の記念として持ち帰られたものだそうです
太鼓橋は清正公が文禄の役の記念として持ち帰られたものだそうです
清正公の旗立石
奥は松原象雲氏彫作の虎の彫像
奥は松原象雲氏彫作の虎の彫像
本殿
白鬚神社
清正公お手植えの樹
ここからはおまけ
熊本城 未申櫓
熊本城 未申櫓
熊本地震の爪痕はまだまだ残っています
鳥居前から見た宇土櫓
天守閣
熊本城ってかっこいいですよね
熊本城ってかっこいいですよね
御城印
すてき
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