とさじんじゃ
土佐神社高知県 薊野駅
受付時間:09:00〜17:00
高知県の皆様 こんにちはー。四国八十八か所巡り 再びです。
今回はGWでしたので 1泊2日のお参りを計画できました。ただ 宿がGW価格になっており 財布はきつかったです。
さて 前回は金剛頂寺でタイムアップになっていたので 順不動ではありますが 1泊2日で高知巡りを収めようと思い まずは高知市内に近いところから巡りました。それで 善楽寺からと考え すぐお隣に土佐一宮の土佐神社がありますので まずはそちらにお参りしました。
いやぁ さすが一宮だけあって とても立派な神社です。社殿も古くて風格があるし 空気が違う気がします。
室町時代に長曾我部元親公が再興されたとありました。
社殿がTの字型になっていますが 入りトンボ様式と言われるそうです。トンボが羽を広げている形のように拝殿の両サイドに幣殿があるからです。
本殿西側に摂社が3つあります。西御前神社・大国主神社・事代主神社です。
本殿手前右側には厳島神社もあります。
少しうっそうと木の茂る庭には 禊岩なる岩があります。
境内西側のしなね川が禊川と言われ禊の神事が行われていたそうです。この岩が神事を行う場所に古くから祀られていたそうですが 河川改修工事にともない この場所に遷されたとありました。
すぐそばには 輪抜け祓所があります。茅の輪と同じように くぐる作法もあり 心身が清められるとありました。茅の輪と違うのは 杉の切り株でできていたことでした。
境外摂社もあったのですが スケジュールが押すのが嫌だったので 諦めました。
『日本書紀』や『土佐国風土記』の記述で知られるように古代から祀られた古社で 中世・近世には土佐国の総鎮守として崇敬された高知県を代表する神社です。
代々の領主は土佐神社に対して崇敬が篤く 現在の主要社殿は戦国大名の長宗我部元親による造営 楼門(神光門)・鼓楼は土佐藩第2代藩主の山内忠義による造営で いずれも国の重要文化財に指定されています。
祭神は2柱です。
味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)都佐国造の祖神とされる。
一言主神(ひとことぬしのかみ)大和葛城地方(現・奈良県御所市周辺)において巫覡を事とした集団に関わる神といわれ 事代主命と同神とする説もある。
駐車場から見た正面鳥居
由緒書
社殿の説明
鐘楼
鐘楼だと思ったら 鼓楼だそうです
拝殿
大河ドラマ 龍馬伝ロケ地だそうです
いやあ奥行きのある 見事な拝殿です
茅の輪がありました
奉納された絵
太鼓がずいぶん古そうです
拝所と本殿 近づくことはできませんでした
拝所手前に狛犬
摂社の鳥居
西御前神社
大国主神社
事代主神社
地域の方が草抜きをされていました
拝殿は Tの字型になっていました 幣殿というそうです
土佐神社と周辺の史跡案内板
絵馬殿
輪抜け祓所
禊岩
厳島神社鳥居
厳島神社
室町時代の社殿のようです
手水は龍でした
土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。
名称 | 土佐神社 |
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読み方 | とさじんじゃ |
通称 | 志奈祢様、 |
参拝時間 | 受付時間:09:00〜17:00 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 088-845-1096 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | mailto:tosa-jinja@coda.ocn.ne.jp |
ホームページ | http://www.tosajinja.i-tosa.com |
絵馬 | あり |
日本全国の一宮まとめ |
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ご祭神 | 味鋤高彦根神
一言主神 |
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創建時代 | 雄略天皇四年 |
本殿 | 入蜻蛉造 |
文化財 | 本殿(重要文化財)
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ご由緒 | 土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。 |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り重要文化財祭り札所・七福神巡り一の宮伝説 |
Youtube | |
概要 | 土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市一宮(いっく)しなねにある神社。式内社(大社)、土佐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 雄略天皇と葛城山の大猪 『釈日本紀』[原 1](鎌倉時代末期成立)所引『暦録』によると、雄略天皇(第21代)4年2月に天皇が大和葛城山にて狩りをしている最中、天皇は一言主神と出会ったが、その不遜な言動により一言主神を土佐に流した。流された一言主神は、土佐において初め「賀茂之地」に祀られ、のち「土佐高賀茂大社」(現在の土佐神社に比定)に遷祀された。そして天平宝字8年(764年)に賀茂氏の奏言によって一言主神は大和国の「葛城山東下高宮岡上」に遷されたが、その和魂はなお土佐国に留まり祀られている、という[1][2][3]。土佐神社側では、この記事をもって雄略天皇4...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 年間祭事[編集] 社記によると、江戸時代初頭まで土佐神社の祭事は年間75度あったというが、その後は27度となったという[1]。現在の主要祭事は次の通り[2]。 歳旦祭 (1月1日) 射初祭(いぞめさい) (1月第3日曜) 斎籠祭(いごもりさい) (3月11日-13日) 忌部3人のうち1人が本殿内陣に籠もって祈念し、その間に本殿周囲で種々の神事を行う。この間は一般の参拝は禁じている。かつては境内北西方の「斎籠岩」にて行なったという[2]。 大祓式(夏越の祓) (6月30日) 志那禰祭(しなねまつり) (8月24日・25日) 秋祭 (10月8日) 新嘗祭 (11月23日) 大...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「土佐神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9C%9F%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102165613 |
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