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とさじんじゃ

土佐神社
高知県 薊野駅

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きどっち
きどっち
2025年06月19日(木) 22時56分51秒
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土佐一之宮 土佐神社にあがらせていただきました。
お遍路の途中にはなりますが、ここは絶対に外せないということでしっかり計画に組み入れての参拝。

鳥居前に立っただけで境内の空気が違うなと感じられるほどでした。
なのでいつも以上に気を引き締めて鳥居前で一礼後境内に入ると・・・とても優しいというか、暖かく迎え入れていただいた感じがしました。
とは言え、長宗我部元親が寄進したと言われる入蜻蛉形式の社殿を前にすると、その重厚感と存在感に圧倒されてしまいます。

今回楼門は保存修理工事が行われており、お目にかかることができませんでしたが、その代わりに普段楼門内にいらっしゃる随身像が工事期間中境内の絵馬殿に移られていて、間近で見せていただくことができました。

土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)

拝殿

土佐神社(高知県)

大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地だったんですね

土佐神社(高知県)

拝殿内
奥に見える朱色の部分は幣殿

土佐神社(高知県)

拝殿右側から

土佐神社(高知県)

神饌所

土佐神社(高知県)

本殿 東側から

土佐神社(高知県)

本殿 西側から

土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)

本殿西側の摂社

土佐神社(高知県)

左から
事代主神社 西御前社 大国主神社

土佐神社(高知県)

鼓楼
鐘楼ではなく、中には太鼓があるそうです

土佐神社(高知県)

絵馬殿

土佐神社(高知県)

普段は楼門内にいらっしゃる随身像
工事が終わるまで、しばらくこちらでお休みください!

土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)

「輪抜け祓所」
昔、ご神木だった杉の木の輪を茅の輪くぐりのように通り抜けることで、「心身が清められ、大木の長寿やたくましさを授かれる御利益」があるそうです。
もちろんしっかりとくぐらせていただきました。

土佐神社(高知県)

みそぎ岩
しなね川に祀られていたものを神苑に遷されたとのこと

土佐神社(高知県)
土佐神社(高知県)

御神木

土佐神社(高知県)

厳島神社の鳥居

土佐神社(高知県)

厳島神社

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例祭・神事

8月25日(例祭/しなね祭)

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歴史

土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。

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土佐神社の基本情報

住所

高知県高知市一宮しなね2丁目16-1

行き方

JR土讃線「土佐一宮駅」から徒歩15分

アクセスを詳しく見る
名称

土佐神社

読み方

とさじんじゃ

通称

志奈祢様

参拝時間

受付時間:09:00〜17:00

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号088-845-1096
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスtosa-jinja@coda.ocn.ne.jp
ホームページhttps://tosajinja.com/
絵馬

あり

巡礼の詳細情報

日本全国の一宮まとめ

詳細情報

ご祭神味鋤高彦根神
一言主神
創建時代

雄略天皇四年

本殿

入蜻蛉造

文化財

本殿(重要文化財)
幣殿・拝殿(重要文化財)

ご由緒

土佐神社の創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされました。当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、武門の崇敬あつく、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六(1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、永年続いた神仏習合時代が終わり、明治四年には土佐神社と改称、社格を国幣中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。

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