たねまじ|真言宗豊山派|本尾山(もとおざん)
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石鎚権現(種間寺境内社)
種間寺の境内社です。
もともと石鎚権現は 山岳信仰の霊場 石鎚山からの勧請と考えられます。
石鎚山は 弘法大師縁の霊場です。
ここからは受け売り(コピペ)です。
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く 「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とあります。
伝説では 紀元前63年のこと崇神天皇第35年石鎚の峯に神を勧請す とあるそうです。
685年に役小角(神変大菩薩)が開山 引き続き 寂仙法師(上仙とも呼ばれていて石仙の弟子)が開山したと伝えられています。
その後 空海自作の『三教指帰』に「或ときには石峯に跨りて」と記されていることから空海も修行されたところである。
さらに伊予国風早郡の出身の光定といった高僧たちも修行しました。
以来 石鈇山蔵王権現と称され 神仏習合・修験の道場として繁栄しました。

1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の8寺院目です。
雪蹊寺から西へ5kmほど車で走った所にあります。
農村地帯の一角の集落という雰囲気の場所です。
境内横にとても広い駐車場がありますので 参拝しやすいです。
山門はなく 柱門になっています。
境内に入ると 立派なしだれ赤松が目に入ります。
初めて見ました。しだれ松。
鐘楼も本坊も 比較的新しいかな?昭和時代かな?と思われる建物ですが 本堂はびっくりコンクリート製のようで これは新しいでしょうね。
古い建物が好きなので 少しだけ悲しかったです。
大師堂はそれなりに古い建物だったので良かったです。
御朱印を拝受する際 奥様だと思うのですが とても丁寧に対応くださったのが印象的でした。
山号は本尾山 院号は朱雀院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり
でした。
由緒については
用明天皇在位(585年 - 587年)の頃 四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が 帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着 航海の安全を祈願して薬師如来を刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。
その後 弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し 堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には 村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。
土佐藩主からの信仰も得ていた。
神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり 跡地には春日神社が創建された。
本尊は近くの池田観音堂に移してあったが 明治13年(1880年)現在地に再興された。
とありました。

【本尾山(もとおざん)朱雀院(すざくいん)種間寺(たねまじ)】
本尊:薬師如来
宗派:真言宗豊山派
開基:弘法大師
種間寺は、第31代 用明天皇(在位585 – 587)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810 – 824)に弘法大師(774-835)が巡錫(じゅんしゃく)し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したという。その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められた。

【34_T.Hamada's view】
境内入口

【34_子どもを抱いた子育観音】
開創時に弘法大師が米や麦、粟などの種を蒔いたことが、名前の由来。子孫繁栄と安産を祈る「子どもを抱いた子育観音」の表情はやさしい。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
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