たねまじ|真言宗豊山派|本尾山(もとおざん)
種間寺のお参りの記録一覧
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
34番 種間寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
34番 種間寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
34番 種間寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
34番 種間寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
34番 種間寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
34番 種間寺
1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の8寺院目です。
雪蹊寺から西へ5kmほど車で走った所にあります。
農村地帯の一角の集落という雰囲気の場所です。
境内横にとても広い駐車場がありますので 参拝しやすいです。
山門はなく 柱門になっています。
境内に入ると 立派なしだれ赤松が目に入ります。
初めて見ました。しだれ松。
鐘楼も本坊も 比較的新しいかな?昭和時代かな?と思われる建物ですが 本堂はびっくりコンクリート製のようで これは新しいでしょうね。
古い建物が好きなので 少しだけ悲しかったです。
大師堂はそれなりに古い建物だったので良かったです。
御朱印を拝受する際 奥様だと思うのですが とても丁寧に対応くださったのが印象的でした。
山号は本尾山 院号は朱雀院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり
でした。
由緒については
用明天皇在位(585年 - 587年)の頃 四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が 帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着 航海の安全を祈願して薬師如来を刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。
その後 弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し 堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には 村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。
土佐藩主からの信仰も得ていた。
神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり 跡地には春日神社が創建された。
本尊は近くの池田観音堂に移してあったが 明治13年(1880年)現在地に再興された。
とありました。
山門はありません
鐘楼
修行大師像
柱門
本坊
地蔵堂
しだれ赤松
並び地蔵
子育観音
手水
本堂
扁額
内陣
さわり大黒
大師堂
梁の彫刻が見事です
内陣
扁額
四国八十八か所霊場 第34番札所
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
開基:弘法大師
いただいた御朱印
力強さの中に流れるような筆運び。心が踊ります。🤭
ご本堂
大師堂
【本尾山(もとおざん)朱雀院(すざくいん)種間寺(たねまじ)】
本尊:薬師如来
宗派:真言宗豊山派
開基:弘法大師
種間寺は、第31代 用明天皇(在位585 – 587)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810 – 824)に弘法大師(774-835)が巡錫(じゅんしゃく)し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したという。その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められた。
【34_T.Hamada's view】
境内入口
【34_子どもを抱いた子育観音】
開創時に弘法大師が米や麦、粟などの種を蒔いたことが、名前の由来。子孫繁栄と安産を祈る「子どもを抱いた子育観音」の表情はやさしい。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【34_子どもを抱いた子育観音】
【34_本堂】
【34_大師堂】
【34_しだれ赤松】
2007(平成19)年に九州から当山に移植。樹齢230年立派な枝ぶり。
【34_底抜け柄杓】
寺では柄杓(ひしゃく)の底を抜いて二夜三日の安産祈願したものを、お札を添えて妊婦に授ける。それを床の間に飾り、無事に安産すれば柄杓を寺に納める。子育観音堂に奉納されている。
【34_龍の木鼻(きばな)】
大師堂の大きな龍の木鼻。左側の龍は手に宝珠を持っている。
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