たねまじ
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種間寺ではいただけません
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種間寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月15日(水)
参拝:2024年5月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の8寺院目です。
雪蹊寺から西へ5kmほど車で走った所にあります。
農村地帯の一角の集落という雰囲気の場所です。
境内横にとても広い駐車場がありますので 参拝しやすいです。
山門はなく 柱門になっています。
境内に入ると 立派なしだれ赤松が目に入ります。
初めて見ました。しだれ松。
鐘楼も本坊も 比較的新しいかな?昭和時代かな?と思われる建物ですが 本堂はびっくりコンクリート製のようで これは新しいでしょうね。
古い建物が好きなので 少しだけ悲しかったです。
大師堂はそれなりに古い建物だったので良かったです。
御朱印を拝受する際 奥様だと思うのですが とても丁寧に対応くださったのが印象的でした。
山号は本尾山 院号は朱雀院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり
でした。
由緒については
用明天皇在位(585年 - 587年)の頃 四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が 帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着 航海の安全を祈願して薬師如来を刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。
その後 弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し 堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には 村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。
土佐藩主からの信仰も得ていた。
神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり 跡地には春日神社が創建された。
本尊は近くの池田観音堂に移してあったが 明治13年(1880年)現在地に再興された。
とありました。
雪蹊寺から西へ5kmほど車で走った所にあります。
農村地帯の一角の集落という雰囲気の場所です。
境内横にとても広い駐車場がありますので 参拝しやすいです。
山門はなく 柱門になっています。
境内に入ると 立派なしだれ赤松が目に入ります。
初めて見ました。しだれ松。
鐘楼も本坊も 比較的新しいかな?昭和時代かな?と思われる建物ですが 本堂はびっくりコンクリート製のようで これは新しいでしょうね。
古い建物が好きなので 少しだけ悲しかったです。
大師堂はそれなりに古い建物だったので良かったです。
御朱印を拝受する際 奥様だと思うのですが とても丁寧に対応くださったのが印象的でした。
山号は本尾山 院号は朱雀院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり
でした。
由緒については
用明天皇在位(585年 - 587年)の頃 四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が 帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着 航海の安全を祈願して薬師如来を刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。
その後 弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し 堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には 村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。
土佐藩主からの信仰も得ていた。
神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり 跡地には春日神社が創建された。
本尊は近くの池田観音堂に移してあったが 明治13年(1880年)現在地に再興された。
とありました。
すてき
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くるくるきよせん2021投稿
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