なぜ、トルコの支援を?
と聞かれました。
今までは、寺なので、しょっちゅうアチコチのあらゆる団体から寄付を求められるので、自分から動く必要がなかったんですよね。
また私自身そう積極的に慈善事業をするタイプの人間では正直ありません😅🙏
廃れた法泉寺をなんとかしなきゃ!ということもありますし、寄付しても、(ちゃんと使ってくれるの?)という警戒心もありますし、自分で企画することで責任を負いたくない気持ちや面倒、大変、忙しい💦日々の生活で精一杯ですし🙇💦
理由の一つは
報道で、トルコの体の大きな大人の男性が、泣き叫んでいるところを見ました。この人は精神が壊れてしまうのでは💦と思うほど大きな声でした。辛かったです。。
一番は、この方の映像をみて何かしなきゃ…!と思いたったというのが理由です。完全に衝動的ですね🙏
もう一つは、かなり前ですけどYou Tubeを流して見ていまして、トルコの人々は親日家であることと、その理由を知っていたからです。
トルコは日本人だと分かると「こんにちは」と向こうから挨拶してきて、とても親切に対応してくれる、いわゆる「日本ファン」が圧倒的に多い国の一つだそうですよ。
それには100年以上前に起きたある海難事件がきっかけだそうです。
お時間ある方どうぞ⇓
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1890年の9月16日の夜、トルコ(当時はオスマン帝国?)の軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本沖で台風に遭い遭難。
乗組員のうち500名以上の多くの方が命を落とす大海難事件ですね🙏
そのうち69名、岸にたどり着き、串本の方々は総出で救助にあたり命がけで助け上げ手厚く介抱したそうです。
当時の貧しい漁村。食料の蓄えなどごくわずかだったにも関わらず、衣服、卵、さつまいも、それに非常用のニワトリを潰して、生存者の救援に全力であたりました。
岸に打ち上げられた亡くなられた方も丁重に埋葬されたそう。
そして健康を回復した69名のトルコ人は無事帰国することが出来きました。
このトルコ国民救出のいきさつは、トルコの小学校の教科書にも載っている事実です(私は知りませんでした💦)
それから85年後の1985年、イラク・イラン戦争。
まだ記憶にある方も多いですよね。
私はよく覚えています🙏
子供ながらに大きな戦車がたくさん街中を走る映像は衝撃的でした。
当時イラクのサダム・フセイン大統領はイラン上空を通過する航空機に対して無差別の攻撃を行うと宣言しました。イランには215名の日本人がいましたが、そのままイラン国内にとどまれば戦争に巻き込まれて命を落とす危険がありました。
本来なら自衛隊機で救出すべきところですが、自衛隊の海外派遣は法律で禁止されており助けにいけず…。また日本航空も危険が大きすぎるという理由で飛行機をイランに差し向けることを断りました。
困った日本政府はトルコのビルレル大使に窮状を訴えたところ、大使は直ちに救援機を派遣しましょうとすぐトルコ航空に要請。
トルコ航空は撃ち落とされるかもしれない危険があるなか、イランへと向かい、215名の日本人を救出してトルコへと引き返し、日本人はトルコ経由で全員無事に日本に帰国できました。
実はこのとき、まだトルコ人は500人近くイランに取り残されていましたが、日本人を優先したことを避難する人は一人もいなかったそうです🥲🙏
ちなみに、このとき命がけでイランに飛んだトルコ航空の機長は、エルトゥールル号遭難の際に助けられた人の子孫であったそうですよ🙏✨
私は、こういったお互い様で助け合うことが当たり前なところ、義理堅いところが、大好きです🙏
2月末まで受付ます
ホームページ オンライン授与所にて郵送で受け付けています🙏
ご参拝の方は午前中でお願いいたします🙇