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やさかじんじゃ

八坂神社の御由緒・歴史
神奈川県 伊勢原駅

ご祭神素戔之男命
創建時代1200年〜1300年頃
ご由緒

[西沼目の鎮守様 八坂神社]

○鎮座地
神奈川県伊勢原市沼目2-3-20
小田急線伊勢原駅南口から徒歩で15分。

○御祭神
素盞之男命(すさのおのみこと)
ご神徳は国土安全、国家安泰、農神、疫病神、学問、縁結び、商売繁盛。

○由緒・社殿
創建時期は不詳なるも、1200年から1300年頃(前北条氏の時代)京都祇園牛頭天王社を信仰するものが、この地に分社を勧請したものと考えられる。応永10年(1403)の梵鐘が現存しているのでそのときには間違いなく存在していた。
爾来、天王社(お天王さん)と呼ばれ沼部村の鎮守として信仰を集め親しまれてきた。
「新編相模国風土記稿」によればご神体は行基菩薩作の木造で、高さ1尺4寸3分(約47センチ)と伝えられる。
天正19年(1591)御朱印状により社領7石を賜る。
慶応4年から明治元年の太政官布告「神仏判然令(神仏分離令)」により京都の祇園牛頭天王社にならい天王社から現在の社名とした。
明治6年(1873年)村社、大正5年(1916年)神饌幣帛料供進社に指定された。
また神仏習合時は大蔵院と称する別当が常駐し、その庵を祇園山天王寺と呼んでいた。大蔵院は小田原玉滝坊(神奈川県央以西の19寺社を配下にもつ有力な修験坊で、一時は県内最大の修験場八菅権現=現八菅神社をも支配していた本山派=天台宗の有力修験集団)に属し、毎日般若心経・大般若経・法華経などの神前読経に努めていた。その後別当は、神仏分離を機に神職となり、引き続き神社に奉仕されたが、明治年間に退去された。
沼目の地名は、倭名鈔では奴末倍(ぬまぶ)とあり、もともと沼部村と称したが、天正19年当八坂神社に対する御朱印状に沼目村と記載されていたため、村名を変更した。
社宝として応永10年(1403年)の県指定重要文化財の銅鐘が1基ある。
社殿は入母屋造二棟一宇116平米。

○天王松の一生
古より八坂神社のご神木として崇められていた天王松は樹齢六百有余年幹の太さは目通りで七米余り根幹で七米位樹高は約二十米に達し 、その美しく荘厳な姿は四方を圧し遠方より眺望され道行く人のしるべとなり寿松と愛称され人々に親しまれてきました。
 しかし歳月は誠に無情にして樹勢の衰えた天王松は昭和四十九年秋人々に惜しまれながらその長い一生を終えました 。
 この度八坂神社並びに保存会の皆様のご協力により埋れていた巨大な天王松の根が掘出されここに展示されました 。
 氏子崇敬者の皆様と共に在りし日の英姿を偲び後々まで語り継がれますようここに記します 。

○境内神社
天神・金毘羅・稲荷をそれぞれ石の祠にお祀りしております。

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