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本覚寺ではいただけません
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本覚寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月13日(火)
参拝:2020年2月吉日
本覚寺は、鎌倉市小町にある日蓮宗の本山(由緒寺院)の寺院。山号は妙厳山(みょうごんさん)。本尊は釈迦三尊。身延山久遠寺の日蓮聖人の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれる。鎌倉十三仏霊場・第3番(文殊菩薩)。鎌倉江ノ島七福神(夷神)。
現在の本覚寺の山門の場所にはもともと天台宗系の夷堂という、鎌倉幕府の南西鬼門の鎮守として源頼朝により建立された堂宇があった。1274年に佐渡配流から帰還した日蓮聖人が一時この夷堂に滞在し、活動の拠点としていた。その後室町期の1436年、一乗院日出(にっしゅつ)上人が日蓮聖人ゆかりの夷堂を日蓮宗に改宗し本覚寺として創建した。その後、日朝上人が身延山参詣が困難な老人・女性のために、日蓮聖人の遺骨を分骨して本覚寺に納めた。
当寺は、JR鎌倉駅にほど近い若宮大路近くにある。ただし山門は逆側の小町大路にある。境内は広々としているが、日蓮宗の本山(一般にはダイナミック)としてはコンパクトな印象。
参拝時は週末の午後、参拝者は混雑はないが絶えることなく来ていた。
※日蓮宗寺院専用の<御首題帳>を持参し忘れたため要再参拝...涙
現在の本覚寺の山門の場所にはもともと天台宗系の夷堂という、鎌倉幕府の南西鬼門の鎮守として源頼朝により建立された堂宇があった。1274年に佐渡配流から帰還した日蓮聖人が一時この夷堂に滞在し、活動の拠点としていた。その後室町期の1436年、一乗院日出(にっしゅつ)上人が日蓮聖人ゆかりの夷堂を日蓮宗に改宗し本覚寺として創建した。その後、日朝上人が身延山参詣が困難な老人・女性のために、日蓮聖人の遺骨を分骨して本覚寺に納めた。
当寺は、JR鎌倉駅にほど近い若宮大路近くにある。ただし山門は逆側の小町大路にある。境内は広々としているが、日蓮宗の本山(一般にはダイナミック)としてはコンパクトな印象。
参拝時は週末の午後、参拝者は混雑はないが絶えることなく来ていた。
※日蓮宗寺院専用の<御首題帳>を持参し忘れたため要再参拝...涙
境内東側にある<山門(仁王門)>。江戸時代の創建。目の前には小川(滑川)が流れ、そこに架かる橋は<夷堂橋>という。橋を渡ると、同じ日蓮宗の<妙本寺>の入口。
山門をくぐって右側にある<夷堂(えびすどう)>。先ほどの橋の名前の由来。1981年再建。
山門から本堂を望む。右側には<夷堂>、左側には<社務所>がある。御朱印はそちら。
参道右手にある<水屋>。
参道右手にある<鐘楼>。梵鐘には1410年の銘がある。
本堂。大正時代の創建。
本堂の右側。木が邪魔をしているが、写真右側に<日蓮聖人御分骨堂>。当寺が<東身延>と呼ばれる所以。
最後に<裏門>。鎌倉のメインストリート<若宮大路>に抜ける。
すてき
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惣一郎1269投稿
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