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ほうかいじ

宝戒寺のお参りの記録(1回目)
神奈川県鎌倉駅

投稿日:2025年12月19日(金) 15時08分09秒
参拝:2024年11月吉日
神奈川県 鎌倉市 小町 に境内を構える、宝戒寺(ほうかいじ)正式名称は 金龍山 釈満院 円頓宝戒寺(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ) 萩の寺として有名、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 に鎌倉三十三ヶ所観音霊場 鎌倉 江の島七福神にて参拝致しました、歴史を感じる堂宇 建築物、境内、寺院対応も慣れた対応でスムーズでした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は金龍山(金竜山)院号は釋滿院(釈満院)宗旨 宗派は天台宗、ご本尊は地蔵菩薩、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第二番札所 准胝観世音菩薩、鎌倉 江の島七福神(毘沙門天)鎌倉地蔵尊霊場 第一番札所、寺域は北条義時以来の歴代の北条得宗家の屋敷北條執権邸地跡と伝える。
得宗家9代目当主で鎌倉幕府元執権(第14代)の北条高時は、元弘3年5月22日(1333年7月4日)、新田義貞の軍に追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ、宝戒寺の裏山)の東勝寺で自害、一族郎党870余名も運命を共にし、鎌倉幕府は滅亡した。宝戒寺蔵の建武2年3月28日(同1335年4月22日)付の足利尊氏寄進状に、同寺は「北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」旨の記述があり、後醍醐天皇が天台宗の高僧・円観慧鎮を開山としてこの寺を造営しようとしていたことは事実と思われる。しかし、実際の造営は、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊し、同天皇が没した後に足利尊氏らによって行なわれたと推定されている。
建武2年寄進状から17年後の1352年(観応3年)に作成された足利尊氏寄進状案には、宝戒寺の造営料として上総国武射郡小松村(現千葉県山武市)と、出羽国小田島庄(現山形県東北部)の土地を寄進するとあり、この頃ようやく宝戒寺の造営が本格化したことがわかる。「惟賢灌頂授与記」という文書によると、2世住持の惟賢によって灌頂が宝戒寺で初めて行われたのが1354年(文和3年)であり、この頃にようやく寺観が整ったものと思われる
宝戒寺(神奈川県)
宝戒寺(神奈川県)
宝戒寺(神奈川県)
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