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たいへいじあと<しせき>

太平寺跡<史跡>のお参りの記録一覧
神奈川県 鎌倉駅

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mitch
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2020年06月29日(月)2219投稿

20.07.25 史跡、鎌倉尼五山第一位、 ” 太平寺跡 ” 石碑 _ 鎌倉市西御門1丁目10−10

太平寺跡<史跡>の歴史

01-0)  史跡、鎌倉尼五山第一位 ” 太平寺跡 ” 石碑 
        _ 鎌倉市西御門(にしみかど)1丁目10−10
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関東の比丘尼トップの 青岳尼(しょうがくに)が還俗して
安房の戦里見義弘の正室となり住職を失い、廃れたからというよりも
廃寺にせざるを得なかった歴史的に重要な経緯がある。
(後年に「高松寺」として再興したが、関東大震災倒壊後に廃寺。
 山門は、鎌倉山料亭「檑亭(らい亭)」の門として移設された。)
仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。
これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」。
.
写真左方の坂を十数m登った先が金網に囲まれ施錠されたテニスコートで、
周辺一帯に 嘗ての 尼五山第一位「太平寺」の伽藍が建っていたとされる。
(因みに 石碑背後の階段は、「満光山 来迎寺」参道階段。
        撮影立ち位置背後は、西御門「八雲神社」。)
無知な私が解説めいたことを書くよりも
他の多くの方が労作をWebサイトで公開してくださっているので、
そちらを参照願いたし。
.
概略;

・1282年頃開山。
     諸説あるうちで、
     源頼朝が池禅尼の昔 の助命恩義に報いるため
     その姪のために建てさせたと云われている。

  → 1556年頃 数奇な運命を経て廃寺。
     数奇な運命経て鎌倉に戻った本尊聖観音菩薩像は東慶寺に移された。 

  → 江戸時代1643年頃
     跡地に ’ 日蓮宗 高松寺(こうしょうじ / 尼寺) ’ として開山

  → 1923年関東大震災で 高松寺全壊
    < 山門は鎌倉山の料亭「雷亭」へ移築 >
     < 宮城県栗原市若柳川北原畑37-1 の ” 高松寺 ” が、
                 移転先 ’ らしい ’ です。 >

太平寺跡<史跡>のその他建物

01-1)  ” 太平寺跡 ” 石碑(上/3) 

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2020年02月23日(日)2219投稿

20.02.15   ’ 太平寺跡 ’ 石碑 < 史跡 > _ 鎌倉市西御門

太平寺跡<史跡>の歴史

’ 太平寺跡 ’ 石碑 < 史跡 > _  鎌倉市西御門1丁目10−10
今回はカメラの電池切れにて騙し騙し、何とか撮ることができた三枚だけ。
写真左方の坂を十数m登った先が金網に囲まれ施錠されたテニスコートで、
周辺一帯に 嘗ての 尼五山第一位「太平寺」の伽藍が建っていたとされる。
(因みに 石碑背後の階段は、「満光山 来迎寺」参道階段。
       撮影立ち位置背後は、西御門「八雲神社」。)
.
概略;
・1282年頃開山 → 1556年頃廃寺。劇的な事情で廃寺 →
  →江戸時代1643年頃 ’ 高松寺(尼寺) ’ として開山→
  →1923年関東大震災で全開 < ← 山門は鎌倉山「雷亭」へ移築 >

・ 円覚寺 国宝 ’ 舎利殿 ’ は「太平寺」から移築された仏殿。
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cf. 太平寺跡の碑文と説明 
    http://www.kcn-net.org/sisekihi/taihei.htm  
(e-ザ鎌倉・ITタウン さま http://www.kcn-net.org/index.html の
   鎌倉市石碑 全83ヶ所 http://www.kcn-net.org/sisekihi/menu.htm
                 からURLを引用させていただきました)

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