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ちょうらくじあと

長楽寺跡<史跡>の御由緒・歴史
神奈川県 由比ケ浜駅

ご由緒

< 碑文 >
嘉禄元年(1225)三月 二位の禅尼政子 頼朝追福の為 
笹目が谷辺に於て方八町の地を卜(ぼく:選ぶ)し 
七堂伽藍を営みて長楽寺と号す 
元弘三年(1333)五月北条執権滅亡の際 
兵火に罹(かか)りて焼失せりと 
此の地即ち其の遺址にして 今に小字を長楽寺と呼べり
昭和六年(1931)三月建之 鎌倉町青年団

< 説明 >
長楽寺は、1225年3月に頼朝の妻の政子によって
頼朝の供養(くよう)のため建てられました。
場所は笹目が谷(ささめがやつ)辺りで、
800メートル四方の土地を選び
七堂伽藍(しちどうがらん)を建てました。
その後1333年5月に鎌倉幕府が亡んだ時、
戦火で焼けてしまいました。
この場所がその跡で、
現在でも長楽寺という地名が残っております。

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< 関連する歴史的補足説明 >
北条政子が夫源頼朝の菩提を弔う為、
嘉禄元年(西暦1225年)願行上人を開山に京都東山の寺号を移し、
長谷笹目ヶ谷(はせささめがやつ、現・鎌倉文学館近隣)に
律宗の ’ 祇園山長楽寺 ’ とし建立された。

政子の死後に北条泰時が
政子の法号「安養院殿如実妙観大禅定尼」から
寺名を長楽寺から ’ 安養院 ’ に改め、
七堂伽藍を備えた立派な寺に整備したそうです。

元弘3年(西暦1333年)に鎌倉幕府は滅亡し寺は兵火により焼失。
同じく兵火で焼失した
大町の ’ 善導寺 ’ 跡へ北条政子の墓と共に移され、
善導寺と合体して阿弥陀如来を御本尊として ’ 安養院 ’ を再建。

しかし後年に焼失し、
比企ヶ谷(ひきがやつ)に建立したのに始ま
ると伝えられる ’ 田代寺 ’の千手観音立像の観音堂(田代観音)を移し
江戸時代に ’ 安養院 ’ に統合したそうです。

長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係して、
鎌倉市大町の「浄土宗祇園山安養院田代寺」の名で現在に至っています。
( ホトカミ_安養院
  _ https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/54439/ )

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