じょうちじ|臨済宗円覚寺派|金寳山(きんぽうざん)
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楽しみ方浄智寺のお参りの記録一覧










06.12.02
浄智寺
鎌倉江の島七福神巡り1日目 ①
◇浄智寺【布袋尊】 弥勒菩薩の化身といわれる不老長寿の神です。
弥勒菩薩の別の姿が布袋尊といわれています。
境内裏の洞窟に等身大石像が祀られています。
笑門来福、夫婦円満、子宝などの神である布袋尊。腹部を撫でると活力が湧いてくるといわれており、この像のお腹はツルツルとしています。御朱印所は書院に受付が併設。本尊と布袋尊の2種があり、どちらにも菱形で「佛法僧寶(ぶっぽうそうほう)」の三宝印(さんぼういん)と、「浄智」の宝印が押されます。
楽しく暮らせるようにお願いをしました。


《屏風型 御朱印帖》
価格:3,000円
鎌倉・江の島七福神専用の屏風型の御朱印帖です。
屏風型なので綺麗に飾れます。
※浄智寺、御霊神社などでお取り扱いしております。この御朱印帳は置いていないところもあるのでご確認を。

◇浄智寺【布袋尊】 弥勒菩薩の化身といわれる不老長寿の神です。
◇鶴岡八幡宮(旗上弁財天社【《弁財天】芸能・開運の神。源頼朝や北条政子が諸祈願を行なった弁才天と伝えられます。現在は鎌倉国宝館にあります。
◇宝戒寺【毘沙門天】仏教を守護する四天王の一人。病魔対敵の神です。
◇妙隆寺【寿老人】中国道教に起源を持つ長寿の神です。
◇本覚寺【夷神】商売繁盛の神。幕府の裏鬼門に当たっていたので、幕府を守る神として源頼朝が祀ったとされます。
◇御霊神社【福禄寿】幸福・財宝の神。宝蔵庫に納められています。
◇長谷寺【大黒天】財福の神。大黒堂に祀られ、「出世・開運授け大黒天」として多くの信仰を集めています。
◇江島神社【弁財天】「鎌倉・江ノ島七福神とする場合に加えられます。

《飾り色紙(たとう付き)》
価格:1,000円
手書きご朱印用の色紙です。

神奈川県 鎌倉市 山ノ内に境内を構える、金宝山 浄智寺(じょうちじ) 禅宗の寺院、臨済宗の寺院の寺格 鎌倉五山 第四位 寺院、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024に 東国花の寺、鎌倉三十三ヶ所、鎌倉江の島七福神にて何度か参拝致しました、山間にひっそりと佇む古刹寺院は山門から見応えが在り季節により景観の美しさが変わります、寺院対応も窓口が在り手慣れていて親切丁寧な対応でした、境内見学は拝観料 掛りますがこれだけの寺院 境内を維持するには致し方無いと思います、日本遺産でも在り、歴史を見れると思えば拝観して損はしません、拝観料/入館料は大人(高校生以上):300円、小人(中学生以下):100円
障害者:無料(要障害者手帳)、付添1名無料、市内高齢者:150円(要福寿手帳/写真添付)団体割引(30名以上)大人(高校生以上):150円
どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 金宝山、寺号は 浄智寺、宗旨 宗派は 臨済宗 円覚寺派、寺格は 鎌倉五山 第四位 (建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺) ご本尊は三世仏 (過去・現在・未来の三つの時代に対応する仏) 阿弥陀如来 (過去)・釈迦如来 (現在)・弥勒如来 (未来)、東国花の寺 百ヶ寺 鎌倉 第九番札所 桜、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第三十一番札所、(聖観世音菩薩)鎌倉十三仏霊場 第六番札所(弥勒菩薩)鎌倉地蔵尊霊場 第十二番札所、鎌倉 江の島七福神(布袋尊)
鎌倉幕府 第5代執権・北条時頼の 3男である北条宗政の菩提を弔うために、弘安4年(1281年)に創建された。開基は宗政の子・北条師時としたが、当時の師時は8歳であり、実際には宗政の妻と兄・北条時宗による創建で、開山は日本人僧の 南州宏海が招かれるが、宏海は尊敬する 宋出身の高僧 兀庵普寧(ごったん ふねい)と導師の大休正念(だいきゅう しょうねん)はを開山にして自身は準開山になる。なお兀庵普寧は文永2年(1265年)に中国に帰国し、浄智寺開山の7年前に没している。
その後、高峰顕日(こうほう けんにち)や夢窓疎石(むそう そせき)らの名僧が住持し、最盛期には 七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達した。元亨3年(1323年)の 北条貞時13年忌には 浄智寺からの参加僧衆は224人に達したと記録にあり、当時浄智寺の総人員は僧侶以外も加えると500人ほどに及んだとみられる。発掘調査では谷戸のずっと奧、天柱峠のすぐ下あたりまで人の手の加わった跡があり、おそらくは現在の円覚寺の規模に近いものがあったと思われる。
鎌倉幕府滅亡後も寺勢は衰えず、延文元年(1356年)には火災で創建時の伽藍を失うが、室町時代には諸堂が建ち並び、塔頭も11院を擁す大きな寺院で、上杉禅秀の乱のあとの応永24年(1417年)に足利持氏が鎌倉に戻ったとき、まず浄智寺に入り2か月以上滞在した。また持氏の子・永寿王(後の足利成氏)が宝徳元年(1449年)に鎌倉に入ったときも浄智寺に滞在したなども寺の規模の大きさを示している。
しかし、15世紀半ばころから都市鎌倉そのものの衰亡と足並みをそろえて徐々に荒廃し、なお江戸時代末まで塔頭8院を維持したが、大正12年(1923年)の関東大震災でその大部分が倒壊し、今日の伽藍は概ね昭和になってから復興された、東慶寺の東、建長寺の西南の谷戸(やと。鎌倉に多い山あいの狭小平地のこと)に位置し、参道は砂岩の一種である鎌倉石で舗装されている。重層一間一戸の鐘楼門は、上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもので、花頭窓をあしらった中国風の意匠が特徴である(近年、この門は全面的に改築されてまったく新しくなった)この門をくぐったところに、本尊の三世仏を安置する曇華殿(仏殿)がある。境内は樹木が豊かで竹林もあり、起伏に富み絶壁状の部分には、鎌倉周辺地域でみられる「やぐら」とよばれる横穴がいくつも掘られ、石仏や石塔が安置されている。鎌倉江ノ島七福神の一である布袋像、観音像を祀るやぐら(洞窟)もある。本堂の裏の墓地には、澁澤龍彦の墓がある。澁澤龍彦の本名は龍雄であるが、墓には龍彦と刻まれている。
境内入り口にある湧き水は鎌倉十井のひとつ「甘露の井」で、寺の裏山からは源氏山に抜けられる。
寺域は全山が1966年(昭和41年)2月28日、国の史跡に指定されている。山門 - 扁額の「寶所在近」(ほうしょざいきん)は、円覚寺開山の無学祖元の筆とされる

金宝山浄智寺。
宗派ー臨済宗円覚寺派。
寺格ー鎌倉五山第四位。
本尊ー木造三世仏坐像。
開山ー兀庵普寧、大休正念、真応禅師
開基ー北条師時

寺号標

太鼓橋と山門。左手奥にあるのが甘露の井

太鼓橋、いい具合いに苔むしています。

鎌倉十井ー甘露の井

山門、『寶所在近』という禅の言葉の額

鐘楼門(2007年再建)、『山居幽勝』の額。
2階の梵鐘は慶安二年(1649)の作

本堂、曇華殿。
本尊ー木造三世仏坐像(左から阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来)、鎌倉仏の特徴の衣の裾が台座から長くたらした様式

本堂の額

本堂裏側にある観音堂。
鎌倉三十三観音、聖観世音菩薩立像

御詠歌

竹林
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