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橘樹神社ではいただけません
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橘樹神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月09日(火)
参拝:2021年3月吉日
橘樹(たちばな)神社と富士見台古墳は、子母口(しぼぐち)の閑静な高台の住宅地にあります。この周辺は、野川にある古刹影向寺(ようごうじ)周辺とともに、古代武蔵国橘樹郡の郡衙推定地として有力視されている場所で、付近には県史跡子母口貝塚もあり、豊かな歴史的環境に恵まれています。
古くから子母口村の鎮守であった橘樹神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の男女2躯の神体を祀(まつ)っていて、かつては立花社といわれていました。
橘樹神社の社伝は、おおよそ次のように伝えています。「日本武尊東征の際、尊は相模から海路で上総まで行こうとしました。ところが、海は恐ろしいほど荒れ狂い、尊の行く手をさえぎってしまいました。そこで、弟橘媛は荒れる海中に自らその身を投じ、尊のために海を鎮めました。やがて、入水した媛の御衣・御冠の具だけがこの地に漂着しました。」また、『古事記』でも「かれ七日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。
すなわち、その櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」と伝えています。そして、この社伝と古事記の記述とが結びつき、その「御陵」とされてきたのが富士見台の高台に築かれた富士見台古墳です。
現在、この古墳は公園の中に保存されていますが、道路に面した古墳の麓が大きく削られてしまい、墳丘もやや変形してしまっています。現存する部分の墳径は17.5m、高さ3.7mを測りますが、築造当初はかなり大きな円墳であったと思われます。
古くから子母口村の鎮守であった橘樹神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の男女2躯の神体を祀(まつ)っていて、かつては立花社といわれていました。
橘樹神社の社伝は、おおよそ次のように伝えています。「日本武尊東征の際、尊は相模から海路で上総まで行こうとしました。ところが、海は恐ろしいほど荒れ狂い、尊の行く手をさえぎってしまいました。そこで、弟橘媛は荒れる海中に自らその身を投じ、尊のために海を鎮めました。やがて、入水した媛の御衣・御冠の具だけがこの地に漂着しました。」また、『古事記』でも「かれ七日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。
すなわち、その櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」と伝えています。そして、この社伝と古事記の記述とが結びつき、その「御陵」とされてきたのが富士見台の高台に築かれた富士見台古墳です。
現在、この古墳は公園の中に保存されていますが、道路に面した古墳の麓が大きく削られてしまい、墳丘もやや変形してしまっています。現存する部分の墳径は17.5m、高さ3.7mを測りますが、築造当初はかなり大きな円墳であったと思われます。
すてき
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