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神明社の御由緒・歴史
神奈川県 読売ランド前駅

ご祭神《合》倉稲魂命,五十猛命,天児屋根命,猿田彦命,《主》天照皇大神
ご由緒

川崎市教育委員会のホームページより抜粋
 天照大神を祀る細山(ほそやま)神明社は、言い伝えでは鎌倉時代に祀り始められたといわれています。明治6年(1873)に細山村の村社となり、明治44年には細山村の稲荷社、杉山社、秋葉社、春日社及び金程村の杉山社等が合祀れました。
 細山神明社は、関東に三社ある「逆(さか)さ大門(だいもん)」の神社の1つとして広く知られています。『新編武蔵風土記稿』に、「社前一丁余を隔てて鳥居をたつ ここより社前までは下り坂なる故土人これを逆大門とよぶ。尋常の大門は皆坂下より上へ登れるにここのみはかへりて下る故なり」という記述があります。普通、神社は鳥居をくぐって石段を上り社殿に到るように建てられているのですが、神明社の場合は鳥居が丘の上にあって、坂の下に社殿が位置しているため、「逆さ大門」と呼ばれているのです。この逆さ大門の由来については、次のような伝承があります。
 当初、この神社を建築したときには社殿は東向きだったのですが、一夜にして西向きに変わってしまいました。村の人々は不思議に思いながらも東向きに戻したのですが、夜が明けるとまた西向きに変わっていました。そんなことが3度も続いたある夜、名主の夢枕に神様が立ち、「村の鎮護のためには西の伊勢の方向へ向けよ、大門が逆になっても良い」というお告げがありました。それ以後、社殿は西向きになり、大門は逆にならざるを得なかったといいます。
 また、この細山神明社は、古くから吹き出物や下(しも)の病気に悩む人々の信仰が盛んで、絵馬を奉納したり、藁(わら)ヅトにいれた蛤(はまぐり)を神前に供えたといいます。拝殿には、東京都下をはじめ近郷の人々から奉納された絵馬が数多く懸けられています。それらの絵馬には、婦人が拝んでいる姿や蛤の絵が描かれており、神に祈る庶民の切実な願いが窺えます。

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