創建は、文明年間(1469―1487)と伝えられていますが、寛文9年(1669)の落雷により堂宇(どうう)が焼失した後、天明2年(1782)に7世住職良逢によって現在の本堂が再建されました。
当寺には、国の重要文化財に指定されている葵梶葉文染分辻が花染小袖(あおいかじはもんそめわけつじがはなぞめこそで)が所蔵されています。この小袖は表地を練緯平絹(ねりぬきひらきぬ)、裏地を練平絹(ねりひらきぬ)とし、その間に綿を薄く入れた袷(あわせ)仕立てで、身幅を広く、短い袖を狭くつくっています。そして、肩と裾は紫に、腰の部分は白に染め分けています。紫の部分には鶸色(ひわいろ)と白の葵の葉を、白い部分には薄浅黄(うすあさぎ)と萌黄(もえぎ)色と鶸色とに梶の葉を絞り染め、その葉脈は墨描きされています。
また、胸、背、袖には5個の葵の文がやや大きめに縫いとられており、制作年代は桃山時代とされています。
この小袖の伝来を記した証文が『新編武蔵風土記稿』に記されています。証文によるとこの小袖は、荻田主馬が大坂夏の陣(元和元年・1615)の功により徳川家康から拝領した後、子孫が延享5年(1748)に明長寺に預けたとされています。
徳川家康が使用していたとされる辻が花染小袖のうち、衣服の形で残されているのはわずかしかありませんので、当寺の小袖は桃山時代の染色衣服を知るうえで、大変貴重な文化財といえます。
なお、この小袖は文化財保存の都合上、拝見することはできません。
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