きょうあんじ|浄土宗|一乗山
教安寺のお参りの記録一覧
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正式名:一乗山究竟院教安寺
神奈川県川崎市川崎区にある浄土宗の寺院で、天文22年(1553)、一蓮社乗誉によって開山された。
境内には徳本上人による六字名号(南無阿弥陀仏)の石碑がある。徳本は念仏を唱えれば極楽に往けると説き、江戸時代に民衆から絶大な人気を誇った。
当寺には文政12年(1829)鋳造の梵鐘がある。戦中の金属類回収令により供出させられたが、空襲警報のサイレンの代用品にしようと川崎市役所に保管されたため、鋳潰されずに済んだ。
また、当寺にある石灯籠は当地で活動していた富士講の一派「タテカワ講」によって、天保11年(1840)に建てられた。
![天狼星](https://minimized.hotokami.jp/YNDPmwcA39Oslh76jSpiRCdPI95ilL9K4k3HZT1g5H4/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20220507-102308_a7hpju2Y1j.jpg@webp)
仕事の合間に参拝
寺号標
山門
本堂
石燈籠(天保十一年(1840年))
江戸時代後期、関東一円で流行した富士講(富士山に弥勒の浄土を求めた庶民の信仰)の信者であり、有力な先達であった川崎宿掘の内村の西川満翁が組織した「タテカワ講」によってたてられたもの。
梵鐘(文政十二年(1829年))
江戸時代から残る市内では貴重な梵鐘。ほとんどの梵鐘は戦後につくられた。
![ハマの「寺(テラ)」リスト](https://minimized.hotokami.jp/MX0mNoB2i7caYiUuG65Q-GGr3XQxEJHYFU9AY-0i7aw/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20250116-160006_Tv5tL7HVig.jpg@webp)
JR「川崎駅」下車徒歩5分。浄土宗寺院。
ご本尊は阿弥陀如来です。
1553年、一蓮社乗誉により芝の増上寺の末寺として開山しました。
駅周りの繁華街からは少し離れた場所ですが、東海道沿いの寺院です。
本堂の背後を京急線が走るのと重なって賑やかですが、境内は静寂さが漂っていました。
御朱印ありとなっていますが、現在はやっていないとのこと。
山門です。
鐘楼堂。
ここの鐘楼は、数少ない江戸時代の作のもの。文政年間に作られたそうです。
戦時中に金属回収令により供出されそうになりましたが、空襲警報として使用しようと市役所で保管されていたために難を逃れました。
本堂です。
背後を京急線が走り回る抜けます。
神奈川県のおすすめ2選🎌
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