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わかみやはちまんぐう

若宮八幡宮の御由緒・歴史
神奈川県 弘明寺(横浜市営)駅

ご祭神ご祭神 大雀命、誉田別命、武甕槌命、道志留辺命、天照皇大神、猿田彦命、市杵島姫命、事解男命、伊邪那美命
境内社 浅間神社、天満宮、熊野神社、伏見稲荷大明神
創建時代建久4年(1193)
創始者源頼朝
ご由緒

源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は数カ所に社寺を創建、報賽所としました。若宮八幡宮はこうした由縁の地に源頼朝が建久4年9月7日鶴岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。当初は若宮八幡大神と号し、神仏習合の社でその後永く久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として諸人の崇敬が大変厚かった。
建立以来今日に至るまで凡そ八百余年の永い間、この宮は平和と豊かなる生活即ち天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭であり、氏子即ち神の子としての魂の尊厳を自覚する聖域として世の人々によって護持せられてまいりました。
永禄七年北条氏康の命によって権大僧正源秀天(みなもとのしゅうてん)が当若宮八幡宮の別当となり、寶積(ほうしゃく)院と称し、以来現在に至っております。
明治6年村社に列せられ、ついで明治39年内務省令による神社統合の趣旨に基づき、近隣8社の氏子信徒が協議の上、明治41年11月25日若宮八幡宮に合祀され、20ヶ町の総鎮守となりました。
大正15年8月27日横浜市幣帛供進の指定社となり、昭和21年宗教法人法令に依り神社本庁所属の神社となりました。
終戦後道徳は弛緩し、思想低下し世情混迷頽廃をうれい、20ヶ町の氏子有志は神威の加護のもとに恒久の平和を祈念し祖国再建の成就を念願し昭和22年時の宮司寶積育三は若宮八幡宮奉賛会(初代会長渡部清治)を組織し御由緒深き若宮八幡宮を維持、愈々神威顕揚に奉仕すると共に念願達成に努めました。
昭和36年私たちの祖先が建立した床しい茅葺きの社殿もいたく古び、風雨に耐え難くなりましたので、時の宮司寶積千一郎、奉賛会々長加藤五十春両氏の熱意により、氏子20ヶ町の奉賛会理事諸氏と協議の上、御造営奉賛会を組織し、広く浄財を集め昭和39年10月、現在の八幡造銅板葺の御社殿(本殿・幣殿・拝殿)及び神楽殿、社務所を造営再建いたし今日に至っております。

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