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光明寺ではいただけません
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光明寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月22日(土)
参拝:2023年2月吉日
この寺は、いまからおよそ五百年前の 永享二年(西暦1430年)、 高野山からこられた慶秀というお坊さんが、 ここに建てたのが始まりです。
宝徳二年(西暦1450年)、 いったん衰えたのが再び盛んになり、 天明年間(西暦1782年)本堂を、 嘉永三年(西暦1850年)には庫裡(住職や家族の住む所)を 再建しました。
当時は、鎮守(その地方をしずめまもる神)諏訪明神と 山王社の別当(別に他の職に当たるもの)をかねていたが、 その後衰退して久しい間、荒廃していましたが、 現在に至って大いに盛んになり、 近年村内の曹洞宗正福寺・万願寺を合併して 更に寺運が開けました。
本尊は、阿弥陀如来の立像、高さ二尺(60センチ)です。 外に合併時の仏像など数多く安置しています。 境内には、いちょうの木(樹齢約170年)と、 柿の木(樹齢約270年)が、植えられています。 また、この両木とも、現在横浜市の銘木古木に 指定(1974年に)されています。
なお、当時には、金沢礼所第二十五番霊場 (神仏の霊験があらたかな場所) 新四国八十八ヶ所の東国霊場六十八番の礼所として、 聖観世音菩薩と阿弥陀如来の仏さまをおまつりしてあります。 また、去る昭和五十年九月宗祖弘法大師入底 1150年御遠忌記念として、 修行大使が、建立されております。(寺のホームページより)
庭には、樹齢270年という柿の木があり、見事であった。
私の尊敬する西宮市の高野山真言宗 鷲林寺の藤原住職が、こんなツイートをされていた。
坂本龍一さんが気にされていた神宮外苑の樹木の伐採について…
百年以上生きてきた樹木が何十年しか生きてない人間によって伐採される。それが良いことか悪いことか。
その判断は現在生きる私たち目線ではなく、将来生まれてくる子孫目線で考えてあげてほしい。
私たちの命は繋がっているのだから…
(2023/4/4)
この柿の木からもそれを感じるのであった。
弘法大師様の像も素晴らしかった。又、対応してくれた住職も温かく。
寒い日に自転車を飛ばした私には有難いひと時となった。
宝徳二年(西暦1450年)、 いったん衰えたのが再び盛んになり、 天明年間(西暦1782年)本堂を、 嘉永三年(西暦1850年)には庫裡(住職や家族の住む所)を 再建しました。
当時は、鎮守(その地方をしずめまもる神)諏訪明神と 山王社の別当(別に他の職に当たるもの)をかねていたが、 その後衰退して久しい間、荒廃していましたが、 現在に至って大いに盛んになり、 近年村内の曹洞宗正福寺・万願寺を合併して 更に寺運が開けました。
本尊は、阿弥陀如来の立像、高さ二尺(60センチ)です。 外に合併時の仏像など数多く安置しています。 境内には、いちょうの木(樹齢約170年)と、 柿の木(樹齢約270年)が、植えられています。 また、この両木とも、現在横浜市の銘木古木に 指定(1974年に)されています。
なお、当時には、金沢礼所第二十五番霊場 (神仏の霊験があらたかな場所) 新四国八十八ヶ所の東国霊場六十八番の礼所として、 聖観世音菩薩と阿弥陀如来の仏さまをおまつりしてあります。 また、去る昭和五十年九月宗祖弘法大師入底 1150年御遠忌記念として、 修行大使が、建立されております。(寺のホームページより)
庭には、樹齢270年という柿の木があり、見事であった。
私の尊敬する西宮市の高野山真言宗 鷲林寺の藤原住職が、こんなツイートをされていた。
坂本龍一さんが気にされていた神宮外苑の樹木の伐採について…
百年以上生きてきた樹木が何十年しか生きてない人間によって伐採される。それが良いことか悪いことか。
その判断は現在生きる私たち目線ではなく、将来生まれてくる子孫目線で考えてあげてほしい。
私たちの命は繋がっているのだから…
(2023/4/4)
この柿の木からもそれを感じるのであった。
弘法大師様の像も素晴らしかった。又、対応してくれた住職も温かく。
寒い日に自転車を飛ばした私には有難いひと時となった。
すてき
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