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大石神社のお参りの記録一覧
神奈川県 長津田駅

ちよは
ちよは
2025年11月10日(月) 14時19分38秒
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東急田園都市線・長津田駅南口徒歩7分
長津田での作業後に参拝しました⛩️
御利益は大願成就。ありがとうございます🙏

大石神社(神奈川県)

一の鳥居
かなり急な階段を登ります

大石神社(神奈川県)

二の鳥居

大石神社(神奈川県)

境内には立派な御神木や名木古木が立ち並んでおりました

大石神社(神奈川県)

手水舎

大石神社(神奈川県)

拝殿

大石神社(神奈川県)

拝殿

大石神社(神奈川県)

大石神社由来

当社の由緒については詳ではない
新編武蔵風土記によると、長津田村大石大権現紀と称し、在原業平朝臣(おやりなりひらあそん)を祀ったものと伝えられている。

万有百科大辞典によると常平朝臣は平安朝前期の人(豆~公平城天皇の孫にあたらせ古今の和歌の先駄をなし、美男で放な性格を持っと記されている。

御神体はだ円形の自然石文字等の刻込みはなく、本殿に四角な台座に下部をはめ込んで立ててある。
台の上に現れている部分の高さは、一三五米、中央部の一番広い所の幅二〇米、上部は漸時細くなりて突起となる。
正面から見ると円味をおびいかにも均街の取れた、形のよい石と田奈土更にも記されている。

神石は武蔵、相模、両国の国境にあったが、百姓装の帰属を考して譲ず遠に争いとおり神意により武蔵に鎮座したものと言われる。

神石の在ったところと欲する地点を元石と言い、今尚その地友が現存しているのである。
又、紫平朝臣は東国下時比の地でその討手がス感かに飲かこまれ、周囲から火を放たれ
あとには、大きな石が一つあったという。

以上が神石にまつわる伝説であるその真疑については問う所ではない。

下って元禄七年(一六九四年)五月、領主岡野平兵衛等社殿を修復し、更に実二年(一七五二年)六月社殿を造営した旨、旧本殿の棟札に記してあった。

大正十二年(一九二三年)五月、神明社、稲荷社を合祀し、同年九月一日関東大震災により石造本殿が崩壊し、宮内省より御用材を賜り再建したが、早急のため粗末であったので
昭和三十五年(一九六〇年)十月蔵造りに建替えた。
又、此の当時まで境内に業平方と言う竹林があったが今はいずこにもそれらしきものは見当たらない。

宗教法人法により昭和二十八年(一九五三年)八月、神社本庁所属の宗教法人を設立、宗教団体として届出て今日に至る。

近年になって平成三年(一九九一年)七月本殿、拝殿改修を実施し、その後宮下より老化と耐震性を考慮し摂社、木社を合わせて平成二十年(二十三年)月、宗教法人大石社 本殿・境内整備建設委員会を立ち上げ、本殿拝殿神楽殿社務所を整備し宮神輿も合わせて新詞することとなった。
警備工事は平成二十六年(二〇一年)一月に着工し、同年九月に竣工した。
尚、祭礼日は、毎年十月第二日曜日と定められている。

本殿
拝殿
木造平屋銅板葺き七.四四平方米
木造平屋銅板葺き三〇〇三(平米
境内面積
・四三一三・〇〇平方米
所在地
長津町二三ニーニ番地
大石神社奉賛会

大石神社(神奈川県)
大石神社(神奈川県)
大石神社(神奈川県)

常夜燈

大石神社(神奈川県)

横浜市地域史跡
長津田宿常夜燈二基

平成元年十二月二十五日登録
県北を通る公道矢倉沢往還(大山街道)は、東海道の裏道にあたり、大山参詣の宮前の道でもありました。
長津田は江戸初期から荏田とともに宿駅に指定されていました。
現在、上宿、下宿に常夜燈が残されています。当時の宿の繁栄を物語るものの一つです。

●上宿常夜燈(緑区長津田町二三二三ーー)
総高二四〇センチメートル
天保十四年(一八四三)に宿中の秋葉山講中が建立したもの。
●下宿常夜燈(緑区長津田町五丁目一六五二ー一)
総高二一〇センチメートル
文化十四年(一ハー七)に宿中の大山講中が建立したもの。

平成二年三月
横浜市教育委員会

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