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楽しみ方師岡熊野神社のお参りの記録一覧
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今日は夏越の大祓で茅の輪くぐりの神事に参加して来ました。
笠䅣稲荷神社では夏越の大祓を行わないので、笠䅣稲荷神社の宮司さんおすすめで来ました✨
こちらの師岡熊野神社の宮司さんと笠䅣稲荷神社の宮司さんもさだまさしさんとお友達だそうです。さだまさしさんが奉納した灯籠もありました👍
半年の罪と穢れを落としてまた半年頑張るぞー💪
宮司さんのお話より、こちらの神社は創建1300年、近くから飛鳥時代の師岡と刻まれた笏が見つかったそうです。
今日は全国の神社で夏越の大祓を行い、全国の方が全て、罪穢れを払いこれから来る厳しい夏を乗り越えられるようにと祈り儀式を取り行っていますとの事。
思いひとしおです😊
自民党の衆議院議員とか来てた😓
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人生を明るい方向へ導いてくれる様々なご利益のある導きの神様です✨祭神のお使いは八咫烏(やたがらす)というカラス、日本サッカー協会のシンボルマークになっていて公式の「サッカー御守」があるということで⚽️少年の甥っ子にと御守り目的の参拝でしたが、ちょうど品切れでした。残念😅
御祭神
伊邪那美尊(いざなみのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
御由緒
この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ熊野山の中腹に鎮祭し和歌山県熊野三社の祭神と御一体であります。
仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わりそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は1060回余にもなる。
観応2年6月17日雷火のため社殿は消失したが神体、社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝へて居る。例へば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池(指定地域史跡)、のの池、ちの池の故事等、枚挙にいとまがない。
享禄2年北条早雲公、慶長4年徳川家康公、寛永19年家光公、寛文5年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め代々の将軍家の崇敬極めて篤く神社への御朱印は幕末まで続けられた。
明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情する所あって明治6年三十三ヶ村の郷社に列した。
神社ホームページより抜粋




22.09.26。東急東横線「大倉山駅」より徒歩10分。横浜市港北区師岡町の住宅街に鎮座。
《横浜北部の守リ神》
御祭神 伊邪那美尊
事解之男命
速玉之男命
創建年 神亀元年(724年)
社格等 旧郷社
例祭日 8月24日
【沿革】〜Wikipediaより〜
神亀元年、僧•全寿が空から降って来た熊野権現の神札を当地の梛の大木の裏に納め祀ったと伝えられる。仁和元年(885年)7月に光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が下向し「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜って以来、宇多天皇、醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。
明治元年(1868年)神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情があって明治6年33ヶ村の郷社に列した。
当神社は社紋が三つ足鳥で熊野三山において信仰された八咫烏に由来する。三つ足鳥は日本サッカー協会のシンボルマークである為、サッカー神社と呼ばれるようで、協会公認の御守も頒布されている。
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